藤原当道
平安時代初期の貴族。藤原南家。従五位上・右中弁。
藤原 当道(ふじわら の まさみち)は、平安時代初期の貴族。藤原南家、備中守・藤原岡継の子。官位は従五位上・右中弁。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従五位上、右中弁 |
主君 | 仁明天皇 |
氏族 | 藤原南家 |
父母 | 父:藤原岡継 |
妻 |
中臣丸張弓の娘 藤原氏子(藤原小黒麻呂の娘) |
子 | 柄範、野風 |
経歴
編集仁明朝の承和3年(836年)右少弁の官職にあったが、第19次遣唐使の渡海にあたり、難波津で大使・副使に権限を象徴する節刀の下賜を行っている旨の太政官の伝達を読み上げた[1]。承和4年(837年)河内守を兼帯し、翌承和5年(838年)右中弁に昇進している。
官歴
編集『続日本後紀』による。
系譜
編集『尊卑分脈』による。
脚注
編集- ^ 『続日本後紀』承和3年5月13日条