若駒戦(わかごません)こと木見杯争奪若駒戦(きみはいそうだつわかごません)は、1978年から1992年にかけて新進棋士奨励会(奨励会)の会員が参加して行われていた将棋棋戦(非公式戦)。大阪新聞主催[1]

升田幸三実力制第四代名人大山康晴十五世名人ら多くの弟子を育てた木見金治郎九段をたたえて「木見杯」を冠した[2]

概要

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  • 奨励会の有段者(初段・二段・三段)が出場[1]
  • 関東・関西それぞれでトーナメントを行い、関東優勝者と関西優勝者とで決勝を行う。
  • 第1回の決勝のみ三番勝負

各回決勝結果

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段位は決勝日におけるものである。段位が四段(プロ)となっている者は、勝ち抜く途中で四段昇段している。

決勝日 優勝者 所属
師匠
準優勝者 所属
師匠
1 1978年10月25日
- 10月26日[3]
児玉孝一 三段 関西
岡崎史明
泉正樹 二段 関東
関根茂
2 1979年10月11日 堀口弘治 二段 関東
加藤博二
民輪義孝 初段 関西
若松政和
3 1980年10月29日 有森浩三 二段 関西
有吉道夫
堀口弘治 三段 関東
加藤博二
4 1982年1月11日 室岡克彦 四段 関東
佐瀬勇次
野田敬三 三段 関西
森安秀光
5 1983年1月14日 石川陽生 二段 関東
高田丈資
有森浩三 三段 関西
有吉道夫
6 1984年1月23日 神崎健二 二段 関西
灘蓮照
石川陽生 三段 関東
高田丈資
7 1985年2月2日 長沼洋 二段 関西
田中魁秀
愛達治 三段 関東
佐瀬勇次
8 1986年3月7日 羽生善治 四段 関東
二上達也
神崎健二 二段 関西
灘蓮照
9 1987年2月28日 中山則男 三段 関西
板谷四郎
小池裕樹 二段 関東
安恵照剛
10 1988年3月11日 森内俊之 四段 関東
勝浦修
藤原直哉 三段 関西
若松政和
11 1989年6月5日 藤原直哉 四段 関西
若松政和
河井智 二段 関東
所司和晴[4]
12 1990年6月11日 畠山成幸 四段 関西
森安正幸
小泉有朋 三段 関東
芹沢博文[5]
13 1991年7月5日 庄司俊之 三段[6] 関東
佐瀬勇次[7]
立石径 三段[8] 関西
有吉道夫
14 1992年7月2日 久保利明 三段 関西
淡路仁茂
北島忠雄 三段 関東
関根茂

脚注

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  1. ^ a b 「自戦記5」(神崎健二公式サイト)
  2. ^ 将棋世界」(日本将棋連盟)2000年1月号付録 pp.63
  3. ^ 10月25日に第1局と2局を、翌26日に第3局を、それぞれ行った。結果は第1局で泉が勝った後、第2局・第3局で児玉が連勝した。
  4. ^ 平野広吉の死去以前は平野門下。
  5. ^ 後に芹沢が死去し、佐藤義則門下となる。
  6. ^ 庄司俊之は、第2回(1977年)小学生将棋名人戦に3年生で出場し準優勝。5年生時の第4回(1979年)では優勝。
  7. ^ 後に佐瀬が死去してから数年後、沼春雄門下となる。
  8. ^ 立石径は、1992年9月、17歳のときに奨励会を三段で退会し、後に医師となる(「将棋世界」2006年9月号 pp.58 - 71)。第11回(1986年)小学生将棋名人戦で3位。