脊振村

日本の佐賀県神埼郡にあった村

脊振村(せふりむら)は、佐賀県の北部、神埼郡にあった山村である。村の名は、脊振山地の最高峰、脊振山にちなむ。

せふりむら
脊振村
脊振山
脊振村旗
脊振村旗
脊振村章
脊振村章
脊振村旗 脊振村章
廃止日 2006年3月20日
廃止理由 新設合併
神埼町千代田町脊振村神埼市
現在の自治体 神埼市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 佐賀県
神埼郡
市町村コード 41325-9
面積 60.93 km2
総人口 1,907
国勢調査、2005年)
隣接自治体 神埼町吉野ヶ里町佐賀市福岡市
村の木 スギ
村の花 チャノキ
村の鳥 ウグイス
脊振村役場
所在地 842-0292
佐賀県神埼郡脊振村大字広滝558-2
外部リンク 旧脊振村の公式ホームページ
座標 北緯33度22分36秒 東経130度19分38秒 / 北緯33.37656度 東経130.32717度 / 33.37656; 130.32717座標: 北緯33度22分36秒 東経130度19分38秒 / 北緯33.37656度 東経130.32717度 / 33.37656; 130.32717
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県内最後の村であったが、2006年3月20日神埼町千代田町と対等合併して市制施行し、神埼市となった。現在は全域が神埼市脊振町(せふりまち)となっている。

地理

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佐賀県北部、脊振山地の中にある。北に脊振山があり、南に行くほど標高は低くなる。人口は城原川沿いに散らばる。

  • 山岳: 脊振山 (1055m)
  • 河川: 城原川

隣接していた市町村・行政区

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佐賀県

福岡県

歴史

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  • 1869年(明治2年) 広滝・倉谷・岩屋が合併して広滝山村、一番ヶ瀬・服巻・久保山が合併して服巻山村、鹿路・鳥羽院・名尾が合併して鹿路山村がそれぞれ成立。
  • 1889年(明治22年)4月1日 市町村制施行により広滝山村・服巻山村・鹿路山村(名尾を除く)が合併して脊振村成立。
  • 1916年(大正5年)9月1日 17名の村の有力者が村長の徳川権七を襲撃する「脊振村騒擾事件」起こる[1]
  • 1936年(昭和11年)11月19日 飛行機が脊振山久保山地区に墜落。操縦者はパリ~東京間のスピード記録樹立を目指していたフランス人、アンドレ・ジャピーであり、村総出で救出活動が行なわれた[2]
  • 1996年(平成8年) ジャビーの出身地ボークール市と姉妹都市締結し、記念行事を行なう[3]。ボークールには「セフリ」という名の通りがある[4]
  • 2006年(平成18年)3月20日 - 神埼町・千代田町と対等合併し、市制施行して神埼市となり消滅。

経済

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産業

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農業では水稲野菜が生産される。1959年、1400ヘクタールの村有林から毎年3000万円の収益があるとして、村議会は住民税の廃止を決議した[5]

産業別就業者数
第1次産業 311人
第2次産業 241人
第3次産業 486人

地域

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教育

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交通

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空港

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最寄り空港は福岡空港または佐賀空港

鉄道

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村内を鉄道路線は通っていない。最寄り鉄道駅はJR九州長崎本線神埼駅

バス路線

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道路

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主要地方道
一般県道

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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  • 高取山公園
  • ふるさとロッジかじか
  • 後鳥羽神社

承久の乱後、隠岐島に流された後鳥羽上皇がひそかに島を抜け出し、鳥羽院地区に身を寄せたという伝説がある。毎年2月22日の後鳥羽上皇の命日には祀りごとが行われている。

脚注

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  1. ^ 『井上ひさし短編中編小説集成』9巻、岩波書店、p220
  2. ^ ジャビー機、佐賀の山中に墜落・重傷『東京朝日新聞』昭和11年11月20日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p165 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  3. ^ 友好姉妹都市盟約の経緯神埼市
  4. ^ 「アンドレの翼」朗読会市報かんざき 2013. 9月号、p25
  5. ^ 「住民税を廃止した村 村有林の収益から 〝地方税法違反だ〟と県 佐賀県背振村 村議会で決議」『朝日新聞』昭和34年6月13日付東京本社朝刊10面。

関連項目

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外部リンク

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