細川利庸
細川 利庸(ほそかわ としつね)は、肥後新田藩の第6代藩主。
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 宝暦4年7月28日(1754年9月14日) |
死没 | 文化2年2月17日(1805年3月17日) |
別名 | 熊五郎(幼名)→利庸 |
墓所 | 東京都品川区北品川の東海寺妙解院 |
官位 | 従五位下、能登守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治、家斉 |
藩 | 肥後新田藩主 |
氏族 | 細川氏 |
父母 |
父:細川利寛、母:房姫(清寿院、細川利恭の娘) 養父:細川利致 |
兄弟 | 利業、利意、利致、利庸、戸川等之 |
妻 |
正室:輝姫(内藤頼尚の娘) 継室:栄姫(南部利雄の娘) 側室:全操院(村松吉川/7代利国生母)、恵明院(白鳥氏)、イソ、スミ江、タヲ、よりつ |
子 | 利国、利愛、利安、利和、利豊、興津利器、黒沢方利、八男、光容院(毛利元義正室)、娘(戸川安民正室) |
生涯
編集宝暦4年(1754年)7月28日、第4代藩主・細川利寛の四男として生まれる。天明元年(1781年)に兄で第5代藩主の利致が死去したため、その養子として跡を継ぎ、同年12月に従五位下、能登守に叙任する。寛政3年(1791年)、藩校・成章館を創設した。
文化2年(1805年)2月17日に死去した。享年52。跡を長男の利国が継いだ。
系譜
編集父母
正室、継室
側室
- 全操院
- 恵明院 - 白鳥氏
- イソ
- スミ江
- タヲ
- よりつ
- 村松氏
- 大垣氏
子女