第1高射特科群
第1高射特科群(だいいちこうしゃとっかぐん、JGSDF 1st Antiaircraft Artillery Group)は、北海道千歳市の東千歳駐屯地に群本部が駐屯する第1高射特科団隷下の高射特科部隊である。
第1高射特科群 | |
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創設 | 1954年(昭和29年)9月25日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 群 |
兵科 | 高射特科 |
人員 | 約600名 |
所在地 | 北海道 千歳市 |
編成地 | 北千歳 |
上級単位 | 第1高射特科団 |
担当地域 | 北海道 |
概要
編集地対空誘導弾改良ホーク改善Ⅲ型を運用し、北海道南部地区を中心とする北部方面隊担任地域の防空を主任務とする。東千歳駐屯地(群本部、本部管理中隊、第301高射中隊、第302高射中隊、第301高射搬送通信中隊)および島松駐屯地(第303高射中隊、第304高射中隊)に分かれて駐屯している。第1高射特科群長は1等陸佐をもって充てられている。
1971年(昭和46年)3月の改編により、4個高射中隊基幹の高射特科群の標準的な編成となっている。
沿革
編集- 1954年(昭和29年)
- 9月25日:部隊新編。
- 1955年(昭和30年)11月10日:第106特科大隊が東千歳駐屯地から真駒内駐屯地へ移駐。
- 1956年(昭和31年)1月25日:第116特科大隊(東千歳駐屯地)を母体に第118特科大隊(M1 90mm高射砲装備)が東千歳駐屯地で編成完結。
- 1959年(昭和34年)
- 3月11日:第106特科大隊(真駒内駐屯地)が廃止。
- 3月12日:第121特科大隊、第122特科大隊(いずれもM51 75mm高射砲(Skysweeper)装備)が真駒内駐屯地に新編。
- 3月30日:第122特科大隊が真駒内駐屯地から八戸駐屯地へ移駐し、第9混成団に編合。
- 8月20日:第121特科大隊が真駒内駐屯地から東千歳駐屯地へ移駐。
- 1961年(昭和36年)8月17日:無線誘導標的機隊が東千歳駐屯地に新編。
- 1964年(昭和39年)3月24日:第118特科大隊第4中隊および無線誘導標的機隊が東千歳駐屯地から静内分屯地へ移駐[1]。
- 1965年(昭和40年)1月20日:部隊編成完結[2]。
- 地対空誘導弾ホークを運用する第102高射大隊、第302高射搬送通信隊が東千歳駐屯地において編成完結。
- 第102高射直接支援隊(北海道地区補給処隷下)が島松駐屯地において編成完結。
- 第121特科大隊(東千歳駐屯地)が廃止[2]。
- 1966年(昭和41年)8月3日:第102高射直接支援隊が第102高射大隊に隷属。
- 1970年(昭和45年)8月5日:第116特科大隊が東千歳駐屯地から飯塚駐屯地へ移駐(第3高射特科群の母体となる)。
- 1971年(昭和46年)3月25日:部隊改編。
- 第301~第304射撃中隊が東千歳駐屯地に新編。
- 第302高射搬送通信隊(東千歳駐屯地)を第301高射搬送通信中隊に改称。
- 第118特科大隊(東千歳駐屯地)および無線誘導標的機隊(静内分屯地)が第1特科団直轄となる。
- 第102高射大隊(東千歳駐屯地)、第301高射運用隊(東千歳駐屯地)が廃止[2]。
- 1972年(昭和47年)
- 3月24日:第1特科団から新編された第1高射団隷下に隷属替え。
- 5月15日:第301~第304射撃中隊(東千歳駐屯地)が第301~第304高射中隊に称号変更。
- 1976年(昭和51年)8月20日:第1高射団が第1高射特科団に称号変更。
- 2000年(平成12年)3月28日:北部方面隊の後方支援体制変換に伴い、第102高射直接支援隊(島松駐屯地)を廃止し[2]、整備部門を北部方面後方支援隊第101高射直接支援大隊第1直接支援中隊へ移管。
- 2004年(平成16年):平成16年度ホーク年次射撃検閲で全国第1位の成績を出す。
- 2024年(令和 6年)3月21日:第302高射中隊が北千歳駐屯地から東千歳駐屯地に移駐[3]。
編成・駐屯地
編集- 編成
- 第1高射特科群本部
- 本部管理中隊「1高群-本」
- 中隊本部
- 群本部勤務班
- 指揮小隊
- 通信レーダ班
- 衛生小隊
- 補給班
- 第301高射中隊「1高群-301」
- 第302高射中隊「1高群-302」
- 第303高射中隊「1高群-303」
- 第304高射中隊「1高群-304」
- 第301高射搬送通信中隊「301高搬通」
整備支援部隊
編集主要幹部
編集官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第1高射特科群長 | 1等陸佐 | 矢ケ崎貴浩 | 2023年 | 3月13日陸上自衛隊教育訓練研究本部 訓練評価調整官 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 小田島義悌 | 1954年 | 9月25日 - 1956年11月18日陸上自衛隊関西地区補給処武器部長 | |
2 | 富石密太郎 | 1956年11月19日 - 1959年 | 7月31日陸上自衛隊高射学校教育課長 →1957年2月16日 1等陸佐昇任 |
陸上幕僚監部第5部勤務 |
3 | 川岸一衛 | 1959年 | 8月 1日 - 1962年 7月31日第1高射特科群副群長 →1960年8月1日 1等陸佐昇任 |
陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
4 | 飯野美男 | 1962年 | 8月 1日 - 1963年12月11日陸上自衛隊高射学校教育部長 | 第1特科団本部付 |
5 | 白男川三郎 | 1964年 | 3月16日 - 1966年 3月15日第1ロケット実験訓練隊長 | 陸上自衛隊高射学校副校長 兼 同校企画室長 |
6 | 外山市義 | 1966年 | 3月16日 - 1967年 7月16日陸上自衛隊高射学校研究部長 | 陸上自衛隊高射学校副校長 兼 同校企画室長 |
7 | 子野日穰 | 1967年 | 7月17日 - 1969年 7月15日陸上幕僚監部付 | 陸上自衛隊高射学校第1教育部長 |
8 | 松尾裕夫 | 1969年 | 7月16日 - 1971年 7月15日統合幕僚学校学校教官 | 陸上自衛隊高射学校第1教育部長 |
9 | 赤木博司 | 1971年 | 7月16日 - 1973年 3月15日装備開発実験隊ロケット弾薬科長 | 陸上自衛隊高射学校第1教育部長 |
10 | 松末治 | 1973年 | 3月16日 - 1975年 7月15日統合幕僚会議事務局第4幕僚室勤務 | 陸上自衛隊高射学校研究員 |
11 | 廣田一郎 | 1975年 | 7月16日 - 1977年 3月15日第1高射団本部高級幕僚 | 陸上自衛隊高射学校第2教育部長 |
12 | 永田義光 | 1977年 | 3月16日 - 1979年 3月15日陸上自衛隊高射学校勤務 | 第1高射特科団副団長 |
13 | 岩越秀治 | 1979年 | 3月16日 - 1981年 3月15日陸上自衛隊高射学校勤務 | 第1高射特科団副団長 |
14 | 西川宗晴 | 1981年 | 3月16日 - 1983年 3月15日陸上自衛隊幹部学校主任教官 | 陸上自衛隊高射学校学校教官 |
15 | 林正秀 | 1983年 | 3月16日 - 1984年 7月31日第1高射特科団本部高級幕僚 | 陸上自衛隊高射学校研究員 |
16 | 正村千秋 | 1984年 | 8月 1日 - 1986年 7月31日陸上幕僚監部装備部装備計画課 企画班長 |
北部方面総監部調査部長 |
17 | 森岡薫 | 1986年 | 8月 1日 - 1988年 7月 6日陸上幕僚監部人事部人事計画課 企画班長 |
東部方面総監部人事部長 |
18 | 三浦皓 | 1988年 | 7月 7日 - 1991年 3月15日陸上幕僚監部装備部武器・化学課 誘導武器班長 |
防衛大学校教授 |
19 | 佐藤千城 | 1991年 | 3月16日 - 1994年 3月31日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上自衛隊高射学校第1教育部長 |
20 | 若木利博 | 1994年 | 4月 1日 - 1997年 3月31日陸上幕僚監部監理部総務課 渉外班長 |
自衛隊札幌病院総務部長 |
21 | 落合清志 | 1997年 | 4月 1日 - 2000年 3月27日北部方面総監部防衛部防衛課長 | 防衛大学校教授 |
22 | 島田政春 | 2000年 | 3月28日 - 2001年11月30日北部方面調査隊長 | 北部方面総監部調査部長 |
23 | 出口政治 | 2001年12月 | 1日 - 2003年 7月31日陸上自衛隊高射学校研究部長 | 第2混成団副団長 |
24 | 天草洋 | 2003年 | 8月 1日 - 2005年 1月11日技術研究本部 技術開発官(誘導武器担当)付 新中距離地対空誘導弾開発室長 |
札幌駐屯地業務隊長 |
25 | 小原友弘 | 2005年 | 1月12日 - 2006年 7月31日第2高射特科団本部高級幕僚 | 中部方面後方支援隊副隊長 |
26 | 池田一敏 | 2006年 | 8月 1日 - 2009年 3月31日陸上幕僚監部装備部武器・化学課 誘導武器班長 |
自衛隊愛媛地方協力本部長 |
27 | 中野重友 | 2009年 | 4月 1日 - 2011年 3月31日陸上自衛隊高射学校主任教官 | 中部方面総監部監察官 |
28 | 大谷貴央 | 2011年 | 4月 1日 - 2013年 3月31日中央即応集団司令部人事部長 | 中央即応集団司令部監察官 |
29 | 大戸英円 | 2013年 | 4月 1日 - 2014年 5月27日中部方面総監部情報部情報課長 | 北部方面総監部付 |
30 | 甲斐正人 | 2014年 | 6月 1日 - 2016年 7月31日陸上自衛隊高射学校総務部長 | 東部方面総監部監察官 |
31 | 前川耕治 | 2016年 | 8月 1日 - 2018年 7月31日東部方面総監部人事部厚生課長 | 防衛研究所主任研究官 |
32 | 和田伸一 | 2018年 | 8月 1日 - 2020年12月21日陸上幕僚監部装備計画部武器・化学課 誘導武器班長 |
陸上自衛隊開発実験団本部計画科長 |
33 | 村上健児 | 2020年12月22日 - 2023年 | 3月12日第1高射特科団本部高級幕僚 | 退職[4] |
34 | 矢ケ崎貴浩 | 2023年 | 3月13日 -陸上自衛隊教育訓練研究本部 訓練評価調整官 |
主要装備
編集- 地対空誘導弾改良ホーク
- 対空レーダ装置 JTPS-P14
- 89式5.56mm小銃
- 無線搬送端局装置 JMRC-C23
- 無線搬送中継装置 JMRC-R23
- 1/2tトラック / 73式小型トラック
- 1 1/2tトラック / 73式中型トラック
- 3 1/2tトラック / 73式大型トラック
部隊改編
編集新編時(1954年(昭和29年)9月25日)第1特科団隷下
- 第1高射特科群本部
- 第1高射特科群本部中隊
- 第301高射運用隊
- 第106特科大隊
- 第116特科大隊
改編時(1956年(昭和31年)1月25日)第1特科団隷下
- 第1高射特科群本部
- 第1高射特科群本部中隊
- 第301高射運用隊
- 第106特科大隊(真駒内駐屯地)
- 第116特科大隊
- 第118特科大隊
改編時(1959年(昭和34年)8月20日)第1特科団隷下
- 第1高射特科群本部
- 第1高射特科群本部中隊
- 第301高射運用隊
- 第116特科大隊
- 第118特科大隊
- 第121特科大隊
改編時(1965年(昭和40年)1月20日)第1特科団隷下
地対空誘導弾ホークの運用開始。
- 第1高射特科群本部
- 第1高射特科群本部中隊
- 第301高射運用隊
- 第116特科大隊
- 第118特科大隊
- 第102高射大隊:地対空誘導弾ホーク
- 第302高射搬送通信隊
改編時(1970年(昭和45年)8月5日)第1特科団隷下
- 第1高射特科群本部
- 第1高射特科群本部中隊
- 第301高射運用隊
- 第118特科大隊
- 第102高射大隊
- 第102高射直接支援隊
- 第302高射搬送通信隊
改編時(1971年(昭和46年)5月15日)第1特科団隷下
標準的な高射特科群の編成に改編。
- 第1高射特科群本部
- 第1高射特科群本部中隊
- 第301射撃中隊
- 第302射撃中隊
- 第303射撃中隊
- 第304射撃中隊
- 第301高射搬送通信中隊
- 第102高射直接支援隊
改編時(1972年(昭和47年)3月25日)第1高射団隷下
中隊名の変更等。
- 第1高射特科群本部
- 第1高射特科群本部管理中隊
- 第301高射中隊
- 第302高射中隊
- 第303高射中隊
- 第304高射中隊
- 第301高射搬送通信中隊
- 第102高射直接支援隊
改編時(2000年(平成12年)3月28日)第1高射特科団隷下
高射直接支援隊および各中隊の整備部門等を北部方面後方支援隊第101高射直接支援大隊第1直接支援中隊へ移管。
- 第1高射特科群本部
- 第1高射特科群本部管理中隊
- 第301高射中隊
- 第302高射中隊
- 第303高射中隊
- 第304高射中隊
- 第301高射搬送通信中隊
廃止部隊
編集脚注
編集- ^ “第7高射特科連隊の紹介 / 陸上自衛隊 第7師団ホームページ”
- ^ a b c d 北部方面隊 五十年のあゆみ, 2003年
- ^ 陸上自衛隊 北千歳駐屯地【公式】 [@kitachitose_STA] (2024年4月1日). "第1高射特科群第302高射中隊は、令和6年3月21日をもって東千歳駐屯地に移駐となりました。". X(旧Twitter)より2024年4月1日閲覧。
- ^ 自衛隊法第65条の11第5項の規定に基づく自衛隊員の再就職状況の報告(令和5年4月1日~同年6月30日分) (PDF)
出典
編集- “防衛省人事発令”. 2014年6月1日閲覧。
- 『高射のあゆみ二十年』 高射学校編 1982年
- 北部方面隊 五十年のあゆみ
関連項目
編集外部リンク
編集- 陸上自衛隊 東千歳駐屯地(公式) (@higashichitose_) - X(旧Twitter)