立川村
日本の愛媛県喜多郡にあった村
立川村(たつかわむら)は、1955年(昭和30年)まで愛媛県喜多郡にあった村である。
たつかわむら 立川村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 満穂村・立川村・内子町・五城村・大瀬村 → 内子町 |
現在の自治体 | 内子町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 喜多郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,384人 (1921年) |
隣接自治体 | 中山町・大瀬村・五城村・満穂村 |
立川村役場 | |
所在地 | 愛媛県喜多郡立川村大字立山字横山 |
座標 | 北緯33度36分25秒 東経132度40分50秒 / 北緯33.60708度 東経132.68069度座標: 北緯33度36分25秒 東経132度40分50秒 / 北緯33.60708度 東経132.68069度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集現在の喜多郡内子町の北部。標高400m前後の山々が連なり、肱川の支流の中山川が南北に貫流している。中山川にそってわずかに平地がひらけ、農業が営まれている。集落は中山川沿いに点在している。
地名の由来
- 成立前の、「立山村」(たつやまむら)と「川中村」(かわなかむら)から一字ずつとったもの。
歴史
編集古代 - 中世
- 戦国期の曽根氏の居城である尾首城跡がある。(大字立山)
藩政期
- 大洲藩領。内山筋に属す。宝暦年間には約300名の紙漉き職人がいたとの記録がある。
明治以降
- 1875年(明治8年) - 伴水学校開設
- 1889年(明治22年) - 町村制施行により成立。喜多郡に属す。
- 1914年(大正2年) - 満穂村(みつほむら)の一部を編入(袋口(ふろく)字鈴木、程野、横平)
- 1955年(昭和30年) - 満穂村、内子町、五城村、大瀬村との合併により、新たな内子町となる。
立川村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) 立山 ━━┓ ┣━━━ 立川村 ━━━━━━━━┓ 川中 ━━┛ ┣━━ 内子町 ┃ 満穂村 ━━━━━━┫ 大瀬村 ━━━━━━┫ (旧)内子町 ━━━━━━┫ 五城村 ━━━━━━┛ (注記)満穂村ほかの合併までの系譜については、それぞれの町村の記事を参照のこと。
地域
編集立川、川中の旧2村がそのまま大字となっていた。内子町になってからは大字は省くようになった。
中山川の右岸が立山、やや上流の左岸が川中。役場は大字立山字横山においた。
旧村名は現在も小学校や郵便局に残るが、正式な読みはいずれも「たつかわ」ではなく「たちかわ」である。一方、旧村の中心部にある伊予鉄バスの立川バス停の読みは「たつかわ」である。
行政
編集役場は大字立山字横山においた。
産業
編集米、麦、大豆、楮、ハゼ、蝋、茶、タバコ草、木炭、和紙などを産した。
交通
編集大洲街道(現在の国道56号)が中山川に沿って村内を貫通している。
鉄道等はない。現在、この地域には予讃線の伊予立川駅があるが、この駅ができたのは行政体としての立川村が その歴史を閉じてから、ずっと後のことである。