福地川
福地川(ふくじがわ)は、南西諸島の沖縄島北部を流れる二級河川である。
福地川 | |
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福上湖 | |
水系 | 二級水系 福地川 |
種別 | 二級河川 |
延長 | 16.7 km |
平均流量 |
0.88 m3/s (川田観測所 2012年[1]) |
流域面積 | 34.4 km2 |
水源 | 伊湯岳 |
水源の標高 | 449 m |
河口・合流先 | 太平洋(平良湾) |
流域 | 日本 沖縄県東村 |
地理
編集沖縄県東村北部の伊湯岳に発し山間部を南流して福上湖に至る。福上湖までの上流部はサンヌマタガーと呼ばれる。福上湖にてサーマタガー、大泊川、ハラマタガー、エーラマタガーなどと合流し西端部の福地ダムより再び川となる。東村の平良地区と川田地区との境界付近を南西方向へ流下し太平洋(平良湾)へ注ぐ。河口付近に狭い沖積平野が形成されている。
福上湖を擁する東西に延びる広い谷はギナン崎北方断層に沿った活断層によって形成された[2]。上流部流域はリュウキュウアオキやスダジイの森となっている[3]。
歴史
編集中流から上流部には琉球処分によって職を解かれた下級士族によって開拓されたエーラ、内福地、サンヌマタなどの集落があった。山に囲まれたわずかな平地での農業や、藍、シャリンバイなどの栽培とそれらを原料にした染料の生産、木材や薪の供給などによって生計を立てていた。太平洋戦争やその後の薪消費量減少などにより1955年頃までにはいずれも廃村となっている。
ウナギ、テナガエビ(タナガー)、モクズガニ(ウリガニ)などの漁が行われていた。大ウナギが生息していたという記録があり、大ウナギに犬が飲み込まれたという言い伝えも残されている。
1917年(大正6年)頃に初めての橋が架けられ、1941年(昭和16年)にはコンクリート橋が架けられた。
かつてはしばしば氾濫していたものの人や家畜への被害はほとんどなかった。太平洋戦争後に上流部の森が伐採されて以降は氾濫の規模が拡大し、1960年には大規模な洪水が発生している。1968年8月に福地ポンプ場が設置され1日あたり25,000トンの水が取水されるようになった。1969年には福地ダムの工事が始まり中流域の大部分が湖底に沈んだ。
流域の自治体
編集脚注
編集- ^ “流況表/川田(かわだ)”. 水文水質データベース. 国土交通省水管理・国土保全局. 2016年1月10日閲覧。
- ^ 町田洋他編 『日本の地形 7 九州・南西諸島』 東京大学出版会、2001年、ISBN 4-13-064717-2
- ^ 内閣府沖縄総合事務局 『沖縄地方ダム管理フォローアップ定期報告書 福地ダム』 2005年
参考文献
編集- 字誌編集委員会編 『福地ダム建設と入会権』 川田区、2003年。
- 東村史編集委員会編 『東村史 第2巻 資料編1 ダム関係資料』 東村役場、1982年。