浪泉 藤市(なみいずみ とういち、1893年12月10日 - 1965年3月25日 )は、青森県南津軽郡大杉村(現青森市)出身で振分部屋に所属した元大相撲力士。本名は成田 藤一。最高位は西十両3枚目。

来歴

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浪ノ音の振分部屋に入門。翌1911年2月場所で「浪泉」の四股名で初土俵を踏む。1914年5月場所十両に昇進した。この場所では0勝4敗1預の成績に終わり、幕下に落ちた。1915年6月場所で再十両となったがここでも2勝3敗と負け越し、再び幕下に落ちた。投げに拘る相撲から一気に寄るという取り口に変えてから3度目の十両昇進となった1916年5月場所で3勝1敗1預と初めて勝ち越した。翌場所も3勝2敗と勝ち越し1917年5月場所自己最高位となる西十両3枚目まで躍進した。しかし、この場所から2場所連続負け越して1918年5月場所で幕下に落ちた。その後1919年1月場所で4度目の十両昇進を果たしたが、負け越して再び幕下に落ちた。再度十両に戻ることなく1921年1月場所で廃業した。

廃業後警視庁に入り、柔道師範となった。

定年後は郷里に戻り、農業に従事し1965年に71歳で死去した。

成績

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  • 番付在位場所数:16場所
  • 十両在位:7場所
  • 十両成績:13勝20敗1分2預

場所別成績

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浪泉 藤市
春場所 夏場所
1911年
(明治44年)
x x
1912年
(明治45年)
西序二段26枚目
 
東三段目43枚目
 
1913年
(大正2年)
西三段目筆頭
 
西幕下39枚目
 
1914年
(大正3年)
西幕下11枚目
3–2 
西十両12枚目
0–4
1預
 
1915年
(大正4年)
東幕下11枚目
4–1 
西十両15枚目
2–3 
1916年
(大正5年)
東幕下5枚目
2–0
1分
 
西十両14枚目
3–1
1分
 
1917年
(大正6年)
西十両5枚目
3–2 
西十両3枚目
2–4 
1918年
(大正7年)
西十両12枚目
2–3 
西幕下筆頭
3–2 
1919年
(大正8年)
東十両12枚目
1–3
1預
 
西幕下6枚目
1–2–2 
1920年
(大正9年)
x x
1921年
(大正10年)

引退
––
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。

参考文献

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  • 『あおもり力士よもやま話』第1巻 奈月ひかる(北の街社刊)

関連項目

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外部リンク

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