永井 直幹(ながい なおもと)は、江戸時代後期の大名大和新庄藩の第7代藩主。永井家宗家11代。

 
永井直幹
時代 江戸時代後期(幕末) - 明治時代
生誕 文政12年7月3日1829年8月2日
死没 明治15年(1882年9月6日
別名 伝八郎(通称
戒名 重照秀幹実現院
墓所 東京都中野区上高田の功運寺
官位 従五位下、播磨守、若狭
幕府 江戸幕府
大和新庄藩
氏族 永井氏
父母 父:永井尚佐、母:浦江
養父:永井直養
兄弟 尚典直幹
渡辺潔綱の娘・
養子:直壮
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文政12年(1829年)7月3日、美濃加納藩永井尚佐の七男として生まれる。嘉永3年(1850年)10月、第6代藩主の永井直養隠居の後、その養子として跡を継いだ。嘉永4年(1851年)に日光祭祀奉行、嘉永6年(1853年)に大坂加番安政5年(1858年)に大番頭などを歴任した。文久3年(1863年)12月、家督を養子の直壮に譲って隠居し、明治15年(1882年)9月6日に死去した。享年54。