武藤祐太
武藤 祐太(むとう ゆうた、1989年6月14日 - )は、埼玉県入間郡毛呂山町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
2020年10月25日 横浜スタジアムにて | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県入間郡毛呂山町 |
生年月日 | 1989年6月14日(35歳) |
身長 体重 |
178 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2010年 ドラフト3位 |
初出場 | 2011年6月29日 |
最終出場 | 2021年10月23日(引退試合) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集実家は米穀店を経営している。強豪校からの誘いを断り、公立校である飯能南高へ進学。1年からエースとなりチームを引っ張るも、3年夏は5回戦で敗退し甲子園出場は叶わなかった。
高校卒業後は、Hondaに入団。
2010年のドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。背番号は「25」。
中日時代
編集2012年5月27日、ソフトバンク戦(ナゴヤドーム)でリリーフ登板し初勝利を挙げた。その後もロングリリーフを主として33試合に登板した。
2013年は開幕を一軍で迎えた。相次ぐリリーフ陣の離脱、不振により岡田俊哉、田島慎二らと共にフル回転の働きでブルペンを支えた。しかし起用法が安定しなかったこともあり、6月に調子を落として、一度二軍に降格したが8月には復帰し、最終的に自己最多の58試合に登板した。全体的には、前年と比べると安定感に欠け、制球難で自滅する場面が多かった。
2014年も開幕で一軍を迎えた。3月29日の広島東洋カープ戦で初登板したが、1イニングを投げ、3被安打2四球、3失点と結果を出せず、3月31日に即刻一軍登録を抹消された。4月27日に再び一軍登録されたが、5月10日の広島戦で2イニングを4被安打1四球、3失点の乱調で、翌日の5月11日に再び登録を抹消された。8月27日に一軍復帰。復帰後も結果は残せなかったが、9月16日の横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初先発を果たし、6回を無失点に抑え、初勝利した。
2015年6月9日に交流戦の千葉ロッテマリーンズ戦において救援登板し、球団通算5000勝試合の勝利投手となった。
2016年は二軍ではチーム2位タイの35試合に登板したが、一軍では4試合のみの登板に終わった。
2017年は二軍で28試合の登板で防御率4.40と芳しくなく、一軍での登板がないまま10月3日に球団から翌年の契約を結ばないと通告された。NPBでの現役続行を希望し、11月15日にMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で開かれた12球団合同トライアウトの参加の申し込みをした[2]が、当日は欠席した[3]。
DeNA時代
編集2017年11月20日、横浜DeNAベイスターズが元楽天の中川大志とともに武藤の獲得を発表[4]。11月24日、背番号は「58」と発表された。
2018年は主に敗戦処理として20試合に登板。4ホールドを記録したが安定感を欠き、防御率は6点台だった。
2019年はビハインドを中心にロングリリーフやセットアッパーなど、リリーフとして幅広い役割をこなした。成績は31試合の登板で3ホールド・防御率3.32だった。
2020年8月10日の対阪神戦で移籍後初先発を果たす等、ビハインドを中心に計21試合に登板した。前年と代わって結果を残せず、防御率は自己最低の7点台に終わった。
2021年は中日時代の2017年以来4年ぶりに一軍登板なしに終わり、10月5日に戦力外通告を受けた[5]。15日に現役引退を表明[6]。23日に古巣・中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)で、引退試合が行われた[7]。自身は9回表先頭に登板[7]。髙松渡に対し、全球ストレート勝負で空振り三振を奪い降板[7]。試合後は引退セレモニーが行われた[7]。DeNAの同僚に加え、中日時代の同僚・大野雄大、田島慎二、岩瀬仁紀、チームマスコットのドアラからも惜別のビデオメッセージを受けた[7]。最後は関係者やファンに感謝を伝えた[7]。
現役引退後
編集現役引退後は横浜市内の不動産会社に営業職として勤務している。最初は電車・バスの乗り方、パソコンの電源の入れ方から覚えた[8]。
選手としての特徴・人物
編集最速150km/h[9]のストレートと、シュート・スライダー・フォークを駆使する[10]。
中日時代はシュートとスライダーを軸に配球を組み立てていた。2017年に戦力外になった際、フォークの落差を向上させたことで、DeNAでは投球の幅を広げている[9]。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2011 | 中日 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 37 | 8.2 | 9 | 2 | 3 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 4 | 4 | 4.15 | 1.38 |
2012 | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 3 | 1.000 | 167 | 41.2 | 33 | 1 | 10 | 2 | 1 | 31 | 2 | 1 | 15 | 14 | 3.02 | 1.03 | |
2013 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 10 | .500 | 306 | 70 | 70 | 7 | 29 | 0 | 1 | 50 | 2 | 0 | 33 | 29 | 3.73 | 1.41 | |
2014 | 15 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | .500 | 101 | 25 | 18 | 2 | 9 | 0 | 2 | 18 | 0 | 0 | 10 | 10 | 3.60 | 1.08 | |
2015 | 8 | 5 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | .400 | 120 | 27.1 | 31 | 2 | 12 | 0 | 0 | 10 | 2 | 0 | 14 | 12 | 3.95 | 1.57 | |
2016 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 28 | 5.1 | 9 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 3.38 | 2.25 | |
2018 | DeNA | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | ---- | 101 | 23.2 | 20 | 4 | 12 | 1 | 2 | 15 | 1 | 0 | 17 | 17 | 6.46 | 1.35 |
2019 | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 3 | .333 | 159 | 38.0 | 31 | 4 | 18 | 6 | 1 | 28 | 1 | 0 | 17 | 14 | 3.32 | 1.29 | |
2020 | 21 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 154 | 31.1 | 42 | 3 | 18 | 6 | 1 | 22 | 1 | 0 | 29 | 26 | 7.47 | 1.91 | |
2021 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 1 | 0.1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00 | |
通算:10年 | 198 | 9 | 0 | 0 | 0 | 10 | 9 | 0 | 21 | .526 | 1174 | 271.1 | 263 | 25 | 114 | 15 | 8 | 185 | 9 | 1 | 142 | 128 | 4.25 | 1.39 |
記録
編集- 初記録
- 初登板:2011年6月29日、対横浜ベイスターズ8回戦(横浜スタジアム)、7回裏に3番手で救援登板、1回1失点
- 初奪三振:2011年7月9日、対横浜ベイスターズ11回戦(ナゴヤドーム)、8回表に村田修一から見逃し三振
- 初勝利:2012年5月27日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(ナゴヤドーム)、5回表に2番手で救援登板、2回無失点
- 初ホールド:2012年8月12日、対横浜DeNAベイスターズ13回戦(松本市野球場)、6回裏1死に3番手で救援登板、2/3回無失点
- 初先発登板・初先発勝利:2014年9月16日、対横浜DeNAベイスターズ21回戦(横浜スタジアム)、5回3被安打無失点
- その他の記録
背番号
編集- 25(2011年 - 2017年)
- 58(2018年 - 2021年)
登場曲
編集脚注
編集- ^ ルーキー1年目総括『週刊ベースボール』2011年12月26日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-12/26, 42頁。
- ^ “合同トライアウトに53人がエントリー 選手一覧”. スポーツニッポン. (2017年11月10日) 2017年11月20日閲覧。
- ^ “トライアウトに51名が参加…前DeNA・柿田が4奪三振、前中日・古本は本塁打含む3安打”. BASEBALL KING. (2017年11月15日) 2017年11月20日閲覧。
- ^ “DeNA 戦力外2選手の獲得発表 元楽天・中川と元中日・武藤”. スポーツニッポン. (2017年11月20日) 2017年11月20日閲覧。
- ^ “DeNAが乙坂、中井ら10選手に戦力外通告”. サンケイスポーツ (2021年10月5日). 2021年10月5日閲覧。
- ^ “【DeNA】武藤祐太の引退を発表「凄く幸せでした」 23日中日戦後に引退セレモニー実施”. スポーツ報知. (2021年10月15日) 2021年10月15日閲覧。
- ^ a b c d e f “【DeNA】武藤祐太「自分なりに必死に」「一生の宝物」…古巣中日相手の引退試合で空三振締め”. スポーツ報知 (2021年10月23日). 2021年10月23日閲覧。
- ^ 石塚隆 (2022年12月28日). “「通勤電車に乗るのも初めてで…」プロ野球選手→不動産の営業マン、武藤祐太33歳が明かす“引退からの1年”「目標は現役時代より稼ぐこと」”. Number Web. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b “悔しいから、進化する――国吉佑樹と武藤祐太の静かな情熱” (2019年8月5日). 2019年8月5日閲覧。
- ^ “中日・武藤 1軍初先発「右も左も分からず」も4回零封”. スポニチ Sponichi Annex. (2014年3月10日) 2014年4月24日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 武藤祐太 - NPB.jp 日本野球機構