楊 朱(よう しゅ、生没年未詳、紀元前370年頃? - 紀元前319年頃?)は、中国戦国時代の思想家。個人主義的な思想である為我説(自愛説)を主張した。は子居。

人間の欲望を肯定し、自己満足が自然に従うものであるとした。儒家墨家に対抗し、異端として孟子などから排撃される。著書は伝わらず、『列子』楊朱篇、『荘子』などに学説が断片的であるが記載される。後学に子華子らがいる[1]

哲学史の研究においては、西洋で同時代に快楽主義を提唱したエピクロスと比較される[2]

脚注

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  1. ^ 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)、金谷治楊朱』 - コトバンク
  2. ^ 狩野直喜『中国哲学史』岩波書店、1953年。ISBN 978-4007300363 p.216f.

関連項目

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