林城の戦い(はやしじょうのたたかい)は、武田晴信と小笠原長時の戦である[1]。
天文17年(1548年)7月19日の塩尻峠の戦いで小笠原軍に大勝した晴信は、天文19年(1550年)7月15日に信濃国の松本平に侵攻。遂に長時の居城である林城の攻略に乗り出した[1]。
支城の犬甘城が落ちると、深志城、岡田城、桐原城、山家城の将兵は雪崩をうって逃亡[1]。長時はこれを知ると、林城を捨て平瀬城に移り、その後信濃国の豪族村上義清を頼って落ち延びた[1]。一連の戦いにより、晴信は筑摩郡を平定した[1]。