松平英親
松平 英親(まつだいら ひでちか)は、豊後高田藩の第2代藩主、のち豊後杵築藩の初代藩主。能見松平家7代
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛永2年4月22日(1625年5月28日) |
死没 | 宝永3年3月10日(1706年4月22日) |
改名 | 千松、伝三郎(幼名)→直次(初名)→重頼→英親→宗閑(号) |
戒名 | 瑞竜院殿大宙宗閑大居士 |
墓所 | 京都府京都市右京区花園の妙心寺聖沢院 |
官位 | 従五位下、市正 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 豊後国高田藩主→豊後国杵築藩主 |
氏族 | 能見松平家 |
父母 | 父:松平重直、母:松平重忠の娘 |
兄弟 | 英親、重長、直政、正方、一柳直興正室、織田長政正室 |
妻 | 常子(松平康信の娘) |
子 |
重栄、重興 養女:竹腰正晴正室(一柳直興の娘) |
略伝
編集高田藩初代藩主となる松平重直の長男。当時の重直は出羽上山藩主松平重忠の養嗣子で、翌年に家督相続するが、その直後に一度摂津三田藩へ転封し、その後6年で高田藩(当初は竜王藩)へ転封している。
寛永20年(1643年)正月に家督を継ぐ。正保2年(1645年)、高田から杵築3万2000石に移封された。藩政を確立するために25か条の法令をはじめ、寛文2年(1662年)からは検地を実施して新田開発などに尽力した。明暦2年(1656年)の日根野吉明改易時の府内城受け取り役も務めている。