昌清尼(しょうせい に、? - 寛永20年7月18日1643年9月1日[1])は、安土桃山時代から江戸時代の女性。実名は(きよ)。

来歴

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土井利勝の養父・土井利昌(正利)の娘で、元政(甚三郎)の姉妹。朝倉宣正の正室となり、牧野儀成室、朝倉宣親朝倉正世朝倉宣季屋代忠興朝倉正高伊東祐豊室、加藤明利室を生む。

後に駿河大納言・徳川忠長乳母となる。夫・宣正は忠長の御附家老となった。しかし忠長が蟄居となると宣正は酒井忠行にお預けとなり、寛永9年(1632年)忠長が改易されると宣正も連座して改易された。

清は忠長自害後、忠長の正室織田昌子(松孝院)と共に出家、昌子の一字を賜り昌清尼を名乗る。浄土宗昌清寺を建立した。戒名は「昌清院殿心誉妙安大姉」[1]

出典

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  • カラー版徹底図解 大奥』 新星出版社

脚注

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  1. ^ a b 昌清寺パンフレットの記載による。