牧野儀成
日本の江戸時代前期の武士
牧野 儀成(まきの のりなり)は、江戸時代前期の旗本。成儀とも伝わる。通称は帯刀。官位は従五位下・美濃守、のちに越中守。石高5000石。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長11年(1606年) |
死没 | 万治3年3月5日(1660年4月14日) |
別名 | 帯刀(通称)、成儀 |
官位 | 従五位下美濃守、越中守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光、家綱 |
氏族 | 牧野氏 |
父母 | 牧野康成 |
兄弟 | 忠成、昌泉院、充、秀成、儀成、慶台院、馨香院 |
妻 | 朝倉在重娘 |
子 |
成長、成貞、重成、成次、松前泰広継室、 永井正元室、筒井政勝室 |
略歴
編集牧野康成の三男として誕生。
寛永5年(1628年)書院番となり、寛永18年(1641年)小姓組頭、寛永21年(1644年)書院番頭となる。遺領は没後、長男成長が3000石を継ぎ、二男成貞が2000石の分知をうけた。成長はやがて罪を得て絶家した。しかし成貞は、館林藩主徳川綱吉の家老となり知行3000石となり、綱吉が5代将軍に就任すると加増されて諸侯に列した。
系譜
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