日吉町 (鹿児島県)
日本の鹿児島県日置郡にあった町
日吉町(ひよしちょう)は、鹿児島県の西部、薩摩半島の中北部に位置していた町。
ひよしちょう 日吉町 | |
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廃止日 | 2005年5月1日 |
廃止理由 |
新設合併 東市来町、伊集院町、日吉町、吹上町 → 日置市 |
現在の自治体 | 日置市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 鹿児島県 |
郡 | 日置郡 |
市町村コード | 46366-3 |
面積 | 29.25 km2 |
総人口 |
5,905人 (2005年4月1日) |
隣接自治体 | 伊集院町、東市来町、吹上町 |
町の木 | ツバキ |
町の花 | ツツジ |
日吉町役場 | |
所在地 |
〒899-3192 鹿児島県日置郡日吉町日置377番地 |
外部リンク | 日吉町 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集薩摩半島西海岸の中央部、日置郡の西部に位置しており、町域は南北に8Km、東西に5.2Kmであり、半楕円形状をなしている[1]。東部は山岳地帯となっており、集落が散在しているが、西部は平坦な台地となっており、集落や耕地が点在している。海岸は吹上浜県立自然公園の一部で、長大な砂丘地帯となっており、その周辺は砂防林と畑地となっている。
大字
編集日吉町は神之川、日置、山田、吉利の4大字から構成されていた。このうち神之川は1956年(昭和31年)の下伊集院村分割によって編入された大字である。これらは現在の日置市日吉町神之川、日吉町日置、日吉町山田、日吉町吉利にあたる。
歴史
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、以下の2村が成立
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 日置村と吉利村が新設合併し町制施行、日吉町が発足。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 下伊集院村の一部を編入。
- 2005年(平成17年)5月1日 - 伊集院町・東市来町・吹上町と合併し、日置市となる。
町名の由来
編集町名は日置村と吉利村の頭文字をとり、合成したことに由来している[1]。
姉妹都市・友好都市
編集地域
編集人口
編集以下に日吉町の人口遷移を示す。1955年(昭和30年)以前については日置村及び吉利村の人口の合算である[3]。
年 | 世帯数(世帯) | 人口(人) |
---|---|---|
1920年(大正9年) | 2,324 | 10,295 |
1925年(大正14年) | 2,348 | 10,449 |
1930年(昭和5年) | 2,302 | 10,471 |
1940年(昭和15年) | 2,217 | 9,770 |
1950年(昭和25年) | 2,939 | 13,842 |
1960年(昭和35年) | 2,860 | 11,072 |
1970年(昭和45年) | 2,533 | 7,984 |
1980年(昭和55年) | 2,472 | 7,048 |
教育
編集中学校
編集小学校
編集- 日吉町立日新小学校
- 日吉町立日置小学校
- 日吉町立住吉小学校
- 日吉町立吉利小学校
- 日吉町立扇尾小学校
交通
編集
道路
編集- 一般国道
- 県道
- 鹿児島県道35号永吉入佐鹿児島線
- 鹿児島県道37号伊集院日吉線
- 鹿児島県道299号永吉吉利線(合併後の2009年路線廃止)
- 鹿児島県道加世田日吉自転車道線
バス
編集鉄道(廃止路線)
編集出身人物
編集脚注
編集- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 1065.
- ^ 日置中央合併協議会の調整内容 都市交流事業(姉妹都市等)の取扱い - 日置中央合併協議会(日置市役所HP) 2011年2月11日閲覧。
- ^ 日吉町郷土誌編さん委員会 1988, p. 4.
- ^ 日吉町郷土誌編さん委員会 1988, p. 534.
- ^ 日吉町郷土誌編さん委員会 1988, p. 535.
- ^ 日吉町郷土誌編さん委員会 1988, p. 536.
- ^ 日吉町郷土誌編さん委員会 1988, p. 538.
- ^ a b 日吉町郷土誌編さん委員会 1988, p. 537.
参考文献
編集- 日吉町郷土誌編さん委員会『日吉町郷土誌 下巻』日吉町長 野元春男、1988年。
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609。
関連項目
編集外部リンク
編集- 日吉町 - 合併後もホームページが残されている