斎藤亮 (内務官僚)
日本の内務・警察官僚
斎藤 亮(さいとう あきら、1898年(明治31年)11月30日[1] - 1952年(昭和27年)3月5日[2])は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。「斉藤」と表記される場合がある。
経歴
編集東京府出身。斎藤格の子として生まれる[3]。第二高等学校を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し徳島県属となる[3][4]。同年、文官分限令により休職となる。一年志願兵として歩兵第65連隊に入隊し、軍曹まで昇進して1924年12月に除隊[3]。
1927年、大阪地方職業紹介事務局長に就任。奈良県書記官・警察部長、石川県書記官・警察部長、北海道庁部長・警察部長、大阪府書記官・警察部長などを経て、1941年10月、警視庁警務部長兼保安衛生部長となる[3]。
1942年7月、山形県知事に就任[5]。1945年4月、千葉県知事に転任。戦災への対応に尽力[6]。同年10月、兵庫県知事に転任。1946年1月に公職追放となり退官した[3][4]。