張 興(チャン・フン、장흥)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、及び大韓民国の軍人。別名は張基鎭。中国名は宋鼎憲[1]。韓国軍では、金九の腹心であったため閑職に追いやられた[2]

張興
生誕 1903年1月20日
大韓帝国京畿道高陽郡
死没 (1983-02-06) 1983年2月6日(80歳没)
大韓民国の旗 大韓民国ソウル特別市
所属組織 国民革命軍
大韓民国陸軍
最終階級 中校(中国軍)
少将(韓国陸軍)
墓所 国立ソウル顕忠院将軍第1墓域135号
テンプレートを表示

経歴

編集

1903年、京畿道高陽郡に生まれる。坡州郡奉日川公立普通学校卒業。農業に従事。1925年2月、上海に亡命。

1926年3月、黄埔軍官学校入学。第5期歩科第2学生隊配属[3]。1927年8月、卒業[4]義烈団に加入。1934年、南京憲兵司令部郵電検査所で活動。1936年4月22日、憲兵上尉[5]。貴陽衛戍司令部に服務[6]。1937年、朝鮮民族革命党監察委員。1945年3月9日、憲兵中校[7]。終戦後、韓国光復軍漢口暫編支隊(支隊長:權晙)副支隊長[8]。1945年10月、光復軍江南独立支隊長[9][10]

1948年10月、陸軍士官学校特別第7期卒業(軍番12320番)。同年12月10日、中領進級[11]

1949年1月、憲兵司令官。1949年3月1日、1949年6月4日、大領進級[11]。憲兵学校校長兼任[11]麗水・順天事件後、憲兵司令部や陸軍本部情報局は左翼勢力摘発のため、民間の査察を強化した[12]。これらは裁判官の令状無しに行われた不法行為であり、1949年4月13日、憲兵隊が民間人を取締または拘引することは不法越権行為であり、これを厳格に禁止するという談話を発表した。1949年6月、国家保安法反対と駐韓米軍撤収を主張していた国会議員が憲兵隊によって検挙された(国会フラクション事件朝鮮語版)。張興はこの事件を裁判所に任せようとしたが、陸軍参謀総長蔡秉徳大領の命令で副司令官の田鳳徳が捜査本部長となり事件を捜査した[13]

1949年6月26日に金九が暗殺されると翌27日付で憲兵司令官を解任[14]。解任後は陸軍本部附[15]

1949年7月15日、第6師団[11]

1949年9月、春川地区兵事区司令官[16]

1950年3月15日、第6師団司令部附[11]

1950年5月、青年防衛隊第5団訓練指導官[17]。1950年6月10日、青年防衛隊顧問官[11]

1950年8月13日、第1軍団人事参謀(同年9月5日まで)。同年9月25日、慶尚南道地区兵事区司令官(~1951年1月25日)[18]

1951年2月5日、全羅南道地区兵事区司令官[19]。同年5月27日、全羅南道地区戒厳民事部長兼任[11]

1953年5月4日、任准将[20]。1953年7月31日、国防部第4(兵務)局長[21]。1954年7月10日、陸軍本部兵務監[22]。1959年4月10日、少将進級と同時に予備役編入[23]

予備役編入後は審査委員長[24]や大韓電線顧問[25]光復会副会長[26]などを務めた。

1983年2月6日午前6時30分、ソウルの自宅で老衰により死亡[27]

1990年、建国勲章愛国章追叙。

出典

編集
  1. ^ 韓民族独立運動史資料集 李初生訊問書(第四回)” (韓国語). 国史編纂委員会. 2016年2月16日閲覧。
  2. ^ “오로지 조국의 안위만을 생각했던 참군인” (朝鮮語). 高陽新聞. (2010年10月31日). http://www.mygoyang.com/news/articleView.html?idxno=26312 2016年2月13日閲覧。 
  3. ^ 湖南省档案館 校編,鄧代蓉 責任編輯. 黄埔軍校同学録. 湖南人民出版社 
  4. ^ <アクセスしようとしているサイトを見つけられません>黄埔軍校与韓国独立運動 (PDF) [リンク切れ]
  5. ^ 国民政府広報第2029号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2016年6月3日閲覧。
  6. ^ 楊 1987, p. 718.
  7. ^ 国民政府広報 渝字第770号(民国34年4月14日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月2日閲覧。
  8. ^ 김민호 (2014). “한국광복군 국내지대의 결성과 활동”. 한국독립운동사연구 (한국독립운동사연구소) 49: 187-225. 
  9. ^ 大韓民国臨時政府年表 1945年10月” (韓国語). 国史編纂委員会. 2016年2月13日閲覧。
  10. ^ 對韓菲越関係” (中国語). 典蔵台湾. 2016年12月12日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g 憲兵史編纂委員 1952, 附錄.
  12. ^ 노영기 2020, pp. 47–48.
  13. ^ 노영기 2020, p. 59.
  14. ^ 노영기 2020, p. 60.
  15. ^ 憲兵史編纂委員 1952, 第三編 教育史.
  16. ^ 朴宗相 (2020) (PDF). 6·25전쟁 시 병무행정기구. 国防部軍史編纂研究所. pp. 43. https://www.imhc.mil.kr/user/imhc/upload/pblictn/PBLICTNEBOOK_202101220220125360.pdf 
  17. ^ 박동찬 2014, p. 250.
  18. ^ 兵務庁 1986, p. 808.
  19. ^ 兵務庁 1986, p. 807.
  20. ^ “元 少將, 中將으로” (朝鮮語). 부산일보. (1953年5月29日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19530529000020 2019年10月22日閲覧。 
  21. ^ 박동찬 2014, p. 96.
  22. ^ 박동찬 2014, p. 102.
  23. ^ “豫備役에 編入” (朝鮮語). 부산일보. (1959年4月11日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19590411000022 2019年10月24日閲覧。 
  24. ^ 張昌国 (1967年10月12日). “뭘 하고 있나. 퇴역한 별 들” (朝鮮語). http://news.joins.com/article/1137433 2016年12月9日閲覧。 
  25. ^ 張昌国 (1982年12月3日). “(3580) 제79화 제79화 육사졸업생들(33) 장창국” (朝鮮語). 中央日報. http://news.joins.com/article/1666187 2016年4月15日閲覧。 
  26. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 中巻』、473頁。 
  27. ^ “장흥장군 별세” (朝鮮語). 中央日報. (1983年2月8日). https://news.joins.com/article/1679375 2020年2月22日閲覧。 

参考

編集
  • 楊昭全 編 (1987). 关内地区朝鲜人反日独立运动资料汇编(1919-1945) 上下册. 辽宁民族出版社 
  • 憲兵史編纂委員 編 (1952). 韓國憲兵史. 憲兵司令部 
  • 兵務廳 (1986). 兵務行政史 上巻. 兵務廳 
  • 박동찬 (2014) (PDF). 통계로 본 6·25전쟁. 국방부 군사편찬연구소. ISBN 979-11-5598-010-1. https://www.imhc.mil.kr/user/imhc/upload/pblictn/PBLICTNEBOOK_201408070704130850.pdf 
  • 노영기 (2020). “여순사건 이후 한국군의 변화와 ‘정치화’”. 史叢 (역사연구소) 100: 33-68. https://www.kci.go.kr/kciportal/ci/sereArticleSearch/ciSereArtiView.kci?sereArticleSearchBean.artiId=ART002589736. 

外部リンク

編集
  • 張興” (中国語). 中国档案. 2016年12月25日閲覧。
軍職
先代
申尚澈
  大韓民国陸軍憲兵司令官
第3代:1949.1.5 - 1949.6.27
次代
田鳳徳朝鮮語版
先代
文容彩
  大韓民国陸軍憲兵学校校長
第2代:1949.6.2 - 1949.6.27
次代
田鳳徳
先代
張錫倫
  大韓民国陸軍慶尚南道地区兵事区司令官
第2代:1950.9.25 - 1951.1.25
次代
金宗元
先代
李大永
  大韓民国陸軍全羅南道地区兵事区司令官
第4代:1951.2.5 - 1953.8.13
次代
崔慶萬
先代
白洪錫
  大韓民国陸軍本部兵務監
第3代:1954.7.10 - 1954.10.15
次代
金冠五
公職
先代
朴勝薫
  大韓民国国防部兵務局長
第3代:1953.7.31 - 1956.3.5
次代
朴東均