市橋長璉
市橋 長璉(いちはし ながてる)は、近江仁正寺藩の第6代藩主。仁正寺藩市橋家7代。
市橋直璉(清源寺蔵) | |
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
生誕 | 享保16年(1733年) |
死没 | 天明5年10月6日(1785年11月7日) |
改名 | 稲葉豊三郎→稲葉安之丞→稲葉通奉→稲葉通璉→市橋長璉 |
別名 | 民部(通称)、長輝(別名) |
戒名 | 嶺雲院殿徹翁浄閑大居士 |
墓所 | 清源寺(滋賀県蒲生郡日野町) |
官位 | 従五位下、伊豆守 |
藩 | 近江仁正寺藩第6代藩主 |
氏族 | 稲葉氏→市橋氏 |
父母 |
父:稲葉董通、母:中原氏 養父:市橋直挙 |
兄弟 | 稲葉泰通、市橋長璉、稲葉通房、一柳末栄室 |
妻 |
正室:松浦誠信女 側室:伊東氏、中西氏 |
子 | 長昭、畠山国儔室、松浦信好室、稲田敏植室、高木永貞室、高木貞直室 |
豊後臼杵藩主・稲葉董通の次男。母は中原氏。正室は平戸藩主・松浦誠信の娘。側室に伊東氏、中西氏。子は市橋長昭(長男)、娘(畠山国儔正室)、娘(松浦信好室)、娘(稲田敏植室)、娘(高木永貞室)、娘(高木貞直室)。官位は従五位下、伊豆守。幼名は豊三郎、安之丞。通称は民部。初名は通奉、通璉。長輝とも言う。
宝暦5年(1755年)2月11日、先代藩主の直挙の養嗣子となる。直挙の養子・直好(市橋直方の三男)、直記(市橋直方の六男)の早世のためであった。同年3月15日、将軍・徳川家重にお目見えする。宝暦8年(1758年)11月24日、直挙の隠居により跡を継いだ。同年12月18日、従五位下伊豆守に叙任する。
天明5年(1785年)10月6日、仁正寺にて53歳で死去し、跡を長男の長昭が継いだ。法号は嶺雲院殿徹翁浄閑大居士。墓所は滋賀県蒲生郡日野町の清源寺。
系譜
編集父母
正室
- 松浦誠信の娘
側室
- 伊東氏
- 中西氏
子女