岡村誠三
日本の学者
岡村 誠三(おかむら せいぞう、1914年1月1日 - 2001年5月2日)は、日本の化学者。専門は、高分子化学。工学博士。京都大学名誉教授。元京都大学原子炉実験所(現・京都大学複合原子力科学研究所)長。元日本学士院会員。勲二等旭日重光章受章。
人物情報 | |
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生誕 | 1914年1月1日 |
死没 |
2001年5月2日(87歳没) 京都府京都市左京区 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 京都帝国大学工学部工業化学科 |
配偶者 | 多恵子(伊藤武男の長女) |
両親 | 佐伯勝太郎(実父)、岡村正市(養父) |
学問 | |
研究分野 | 高分子化学 |
研究機関 |
京都帝国大学化学研究所 京都帝国大学工学部→京都大学工学部 京都大学原子炉実験所 |
学位 | 工学博士(京都帝国大学・1944年) |
学会 | 日本化学会、高分子学会 |
主な受賞歴 | 恩賜賞 (日本学士院)(1970年) |
放射線重合の研究を推進し、放射線高分子化学という新しい分野を開拓した。1970年に「放射線重合に関する研究」により恩賜賞・日本学士院賞を受賞[1]。
略歴
編集- 1914年1月 - 佐伯勝太郎の三男として現在の東京都に生まれる
- 1937年3月 - 京都帝国大学工学部工業化学科卒業
- 1939年3月 - 京都帝国大学工学部工業化学科講師
- 1940年6月 - 京都帝国大学工学部工業化学科助教授[2]
- 1944年5月 - 工学博士(京都帝国大学)
- 1946年3月 - 京都帝国大学工学部繊維化学科教授[2]
- 1961年4月 - 文部省大学学術局科学官[3]
- 1962年6月 - 京都大学工学部に復帰[3]
- 1965年4月 - 京都大学評議員(1967年3月まで)[4]
- 1968年4月 - 京都大学原子炉実験所(現・京都大学複合原子力科学研究所)長(1972年3月まで)[5][6]
- 1972年4月 - 工学部に復帰
- 1971年4月 - 日本放射線化学会長
- 1972年1月 - 日本学術会議会員
- 1976年
- 4月 - アメリカ化学会百周年記念外国人フェロー
- 12月 - 王立スウェーデン科学工学アカデミー正会員
- 1977年4月 - 京都大学名誉教授[7]、京都産業大学教授[3]
- 1979年11月 - 財団法人生産開発科学研究所理事長
- 1986年6月 - 財団法人国際化学研究会理事長
- 1990年12月 - 日本学士院会員
栄典・受章・受賞
編集著書
編集- 旅の窓 1960年
- 科学に遊ぶ―分けることとまとめること 1991年 PHP研究所 ISBN 978-4569529653
- 科学の知恵心の知恵―真理は知恵の交叉点に存在する 1994年 PHP研究所 ISBN 978-4569543123
- 個と群れ―高分子エッセイ 1996年 高分子刊行会 ISBN 978-4770200310
- 科学者の良心―科学には限界がある 1998年 PHP研究所 ISBN 978-4-569-60171-7
共著
編集関連項目
編集脚注
編集- ^ a b “恩賜賞・日本学士院賞・日本学士院エジンバラ公賞授賞一覧”. 日本学士院. 2017年4月27日閲覧。
- ^ a b 京都大学百年史編集委員会編、『京都大学百年史』資料編3、2001年、p.254。
- ^ a b c 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」『岡村 誠三』 - コトバンク
- ^ 京都大学百年史編集委員会編、『京都大学百年史』資料編3、2001年、p.182。
- ^ 京都大学原子炉実験所沿革
- ^ 京都大学百年史編集委員会編、『京都大学百年史』資料編3、2001年、p.169。
- ^ 京都大学百年史編集委員会編、『京都大学百年史』資料編3、2001年、p.142。
- ^ a b “各賞歴代受賞者一覧”. 公益社団法人日本化学会. 2017年5月10日閲覧。
- ^ “高分子学会賞受賞者”. 公益社団法人高分子学会. 2017年5月10日閲覧。
- ^ “高分子科学功績賞受賞者”. 公益社団法人高分子学会. 2017年5月10日閲覧。
- ^ 『官報』 号外第44号、1987年4月30日。
- ^ 京都府文化賞受賞者 (PDF)
- ^ 『官報』 本文第3133号、2001年6月11日。