尾上泰次郎

日本の歌舞伎役者

尾上泰次郎(おのえ たいじろう、1909年明治42年)8月27日 - 1927年昭和2年)9月2日)は歌舞伎役者。屋号音羽屋定紋重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪

おのえ たいじろう
尾上 泰次郎
屋号 音羽屋
定紋 重ね扇に抱き柏 
生年月日 1909年8月27日
没年月日 (1927-09-02) 1927年9月2日(18歳没)
出身地 東京都 日本橋
五代目尾上榮三郎
兄弟 七代目尾上榮三郎(兄)

来歴・人物

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父は六代目尾上梅幸。兄は七代目尾上榮三郎

1914年(大正3年)1月、尾上泰次郎を襲名。

1926年(大正15年)5月7日に相州金沢にて、兄の榮三郎が呼吸器疾患のため25歳で死去した[1]。その時、父の六代目尾上梅幸と共に榮三郎の最期を看取っている[1]

だが、泰次郎も、榮三郎の死から僅か1年4か月後の1927年昭和2年)9月2日夭折した。

将来を嘱望していた子供2人に先立たれ、六代目梅幸は泰次郎の死から7年後の1934年(昭和9年)に亡くなった。

脚注

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