尼崎戎神社
兵庫県尼崎市にある神社
尼崎戎神社(あまがさきえびすじんじゃ)は、兵庫県尼崎市にある神社。別名倉持戎大宮、または「ちぢみさん(後述)」と呼ばれている [1]。商売繁昌の神様「尼のえべっさん」として参拝者に親しまれており、毎年1月9日より11日まで十日戎大祭が開催されている。
尼崎戎神社 | |
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拝殿 奥に本殿が納められている | |
所在地 | 兵庫県尼崎市神田中通三丁目28 |
位置 | 北緯34度43分10.6秒 東経135度24分45.7秒 / 北緯34.719611度 東経135.412694度座標: 北緯34度43分10.6秒 東経135度24分45.7秒 / 北緯34.719611度 東経135.412694度 |
主祭神 | 八重事代主大神 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 伝・醍醐天皇(885年)以前 |
本殿の様式 | 一間社流造檜皮葺 |
別名 | 倉持戎大宮 ちぢみさん |
例祭 | 1月9日-1月11日 |
主な神事 | 十日戎 |
地図 |
歴史
編集創建は醍醐天皇以前の時代であるという伝承が残されている[2]。
正和年間に近江坂本の日吉神社に属する一社が尼崎に祀られ、その後別所町と別所村に分社、別所村字内畑(現・尼崎市西本町五丁目)には戎太神宮が建立され氏神として祀られた [注 1][1]。
戎太神宮は、近代には事代主神社(ことしろぬしじんじゃ)を経て現在の社号へ改称。太平洋戦争中の1945年(昭和20年)には、社地が空襲時の家屋疎開用地に指定されたが、終戦により撤去を免れている[1]。
年表
編集祭神
編集古代の当神社は海辺に近く、漁業航海を守る海の神様としてえびすと同一視された事代主(ことしろぬし)が主祭神とされた。その後市内の商業・工業が発展してからも、商売繁盛の神様として崇拝されている。
またその昔、菅原道真が九州の大宰府に向けて航海する途中尼崎に立ち寄り、立ち並ぶ老松や砂浜の景観に感銘を受けた「琴の浦」に関する逸話[注 2][3]にちなみ、学問の神様(天神様)として祀られている。
祭事
編集境内
編集当神社の社地は南北朝以来数々の戦火に巻き込まれ、また災害を被る毎に社勢が衰え、分断や縮小を余儀なくされていったことから、前述の「ちぢみさん」の別称が付いたと言われている[4]。
現在の社地は東に向かって狭くなる細長の三角形をしており、拝殿等の建築物は西側に寄せられている。社地のほぼ中央に大鳥居が建てられており、周囲には遊具やベンチ等が設置され、普段は神田公園の名称で開放されている。
- 本殿
- 木造・一間社[注 3]流造の檜皮葺。江戸時代末期の建築とも言われている[5]。
- 拝殿
- 鉄筋コンクリート造・銅板葺で、西に向かって参拝するように建てられている。建物全体は、本殿が納められた奥の覆屋と一体になっている。
- 末社
- 拝殿北隣にある天照大神や天神様等を祀る社。
- 別院社
- 境内北側にある稲荷神を祀る朱塗りの祠。
- 社務所
- 拝殿南隣にある木造・銅板葺の建物で住宅を兼ねる。2013年(平成25年)に竣工した[6]。建物の内部には、ガラス作家の三浦啓子による、えべっさんなどをデザインしたステンドグラスが飾られている[7]。
- 大鳥居
- 1959年(昭和34年)に竣工した、高さ17m・笠木22m・柱直径1.6mある鉄筋コンクリート造・朱塗りの鳥居。掲げられていた「倉持戎大宮」の扁額は畳3枚分の大きさがあった[3]が、2015年(平成27年)現在、扁額は外されている。
- 月像石(つきいし)
- アポロ11号が月面着陸を果たした1969年(昭和44年)7月20日に和歌山県で発見されたという奇石で、翌年に当神社に納められたもの。以来参拝者が御利益を祈願して、石を撫でて行く風習が広まった。
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境内(神田公園)入口
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末社
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別院社(稲荷神社)
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社務所
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拝殿前にある月像石(つきいし)
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大鳥居柱の刻銘版 完成年が刻まれている。
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境内北側にある石造の鳥居
交通
編集鉄道
編集- 阪神尼崎駅下車 西へ徒歩約3分
バス
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 尼崎ゑびす神社 - 公式サイト
- 神主Nobbyのブログ - 宮司・太田垣亘世によるブログ
- 尼崎町(近世) - apedia - 別所町と別所村の地図が掲載されている