寺島本町(てらしまほんちょう)は、徳島県徳島市の地名である。

内町地区の中央、徳島駅前を占める。現在の町名では寺島本町西 (1~2) と寺島本町東 (1~3) に分かれている。

合わせて寺島と通称されるが、「本町」というとおり寺島本町はその一部であり、本来の寺島は新町川岸の藍場町南内町まで広がる。

統計

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2011年5月1日。徳島市の調査より[1]

世帯数 人口
寺島本町西 077 151
寺島本町東 109 234
186 386

歴史

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古くはこの付近一帯を寺島と呼び、鎌倉時代からの史料に見られる。新町川寺島川(現在のJR沿いにあった廃河川)に囲まれた中洲が寺島である。その中心は中町(現 八百屋町2丁目付近)と呼ばれた。

江戸時代初頭、徳島城下町建設時に、勝瑞蜂須賀氏旧領の尾張から諸が集められた。諸寺は元和寛永期に眉山山麓の寺町に移され、寺島には武家町が生まれた。当時、現在の寺島本町は寺島本丁と書いた。

明治になると、寺島北部の武家町が寺島町と呼ばれるようになった(寺島南部には町人町もあった)。1888年市制施行された徳島市の町名として寺島町が置かれ、

  • 寺島本町北 - 現 寺島本町西・寺島本町東。
  • 寺島本町南 - 現 寺島本町東の南部。
  • 稲田屋敷跡 - 現 幸町1丁目。
  • 賀島屋敷跡 - 現 幸町2丁目(市役所周辺)。
  • 船場町東 - 現 寺島本町西1丁目から藍場町1丁目にかけての境界付近(アミコビル西部周辺)。東船場町とは異なる。
  • 藍場町

の6からなった(現在の地名との対応はおおよそ)。寺島本町北・南がほぼ現在の寺島本町西・東にあたる。

1941年、寺島本町西 (1~3、現在は1~2)・寺島本町東 (1~3)・元町 (1~2)・藍場町 (1~3、現在は1~2)・幸町 (1~2、3は除く) に分割された。

寺島の名を冠する施設等

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出典

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