中洲町 (徳島市)
中洲町(なかずちょう[1])は、徳島県徳島市の町名。内町地区に属している。西から中洲町一丁目、中洲町二丁目、中洲町三丁目と並ぶ。
中洲町 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 徳島県 |
市町村 | 徳島市 |
地区 | 内町地区 |
人口 | |
• 合計 | 557人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
770-0856 |
郵便番号は〒770-0856。
統計
編集地理
編集元は福島町・塀裏町の各一部であり、1941年から現在の町名となる。
ひょうたん島南東部に位置する町で、町の南を吉野川の支流である新町川が流れ川岸にはケンチョピア(みなと公園)のヨットハーバーが広がる。町の東には同じく吉野川水系の助任川(福島川)が流れている。
西辺は牟岐線で、反対側の幸町とは南端(新町川河岸)のアンダーパスでのみ通じている。ただし歩行者・軽車両専用のアンダーパスがもう1ヶ所ある。なお中洲総合水産市場は中洲町ではなく幸町にある。
地形
編集歴史
編集中洲町は江戸時代には、西に連なる幸町三丁目の大半・南内町の大半と共に新町川の河道だった。しかし堆積が進むと、1880年(明治13年)ごろには干潟・カヤ原となった。
江川克己 (1847年8月~1909年) は、この地を埋め立て港湾とすることを計画した。まず土地を名東郡から借り受け、1889年(明治22年)に徳島市議会議員・1893年(明治26年)に徳島県議会議員となり、1898年ごろまでに埋め立てを終え、所有権も手に入れた。
これにちなみこの地は江川新田と呼ばれた。住所表示は現在の幸町三丁目の大半・南内町の大半と共に「塀裏町土手外」だった。塀裏とは本来は寺島(牟岐線の西側)の地名である。
新町川河岸に川港の中洲港が築かれ、大阪行きの定期航路が発着するようになった。1922年(大正11年)には内務省指定の重要港湾の徳島港となった。しかし船舶の大型化に伴い徳島港は海岸へ移動し、旧・中洲港はヨットハーバーのケンチョピアとなった。
西端にはかつては寺島川が流れ、中洲港・徳島港の一部となり、河口には中洲橋が架かっていた。しかし1960年ごろ埋め立てられ暗渠化し、現在は寺島排水機場で新町川に排水されている。埋立地は寺島公園と徳島中央警察署になった。
施設
編集公共施設
編集公園
編集オフィス
編集- 三井住友海上火災保険徳島ビル - 中洲町二丁目
- AIG損害保険徳島支店
碑
編集- 江川克己彰徳碑 - 中洲町二丁目
交通
編集道路
編集バス
編集橋
編集参考文献
編集- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)