中洲町 (徳島市)

徳島県徳島市の町名
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中洲町(なかずちょう[1])は、徳島県徳島市町名内町地区に属している。西から中洲町一丁目、中洲町二丁目、中洲町三丁目と並ぶ。

中洲町
ケンチョピア
日本
都道府県 徳島県
市町村 徳島市
地区 内町地区
人口
2009年(平成21年)12月
 • 合計 557人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
770-0856

郵便番号は〒770-0856。

統計

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  • 人口:557人(2009年12月。徳島市の調査より)
  • 世帯数:252世帯(同上)

地理

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元は福島町・塀裏町の各一部であり、1941年から現在の町名となる。

ひょうたん島南東部に位置する町で、町の南を吉野川の支流である新町川が流れ川岸にはケンチョピア(みなと公園)のヨットハーバーが広がる。町の東には同じく吉野川水系の助任川(福島川)が流れている。

西辺は牟岐線で、反対側の幸町とは南端(新町川河岸)のアンダーパスでのみ通じている。ただし歩行者軽車両専用のアンダーパスがもう1ヶ所ある。なお中洲総合水産市場は中洲町ではなく幸町にある。

地形

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歴史

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中洲町は江戸時代には、西に連なる幸町三丁目の大半・南内町の大半と共に新町川の河道だった。しかし堆積が進むと、1880年(明治13年)ごろには干潟カヤ原となった。

江川克己 (1847年8月~1909年) は、この地を埋め立て港湾とすることを計画した。まず土地を名東郡から借り受け、1889年(明治22年)に徳島市議会議員・1893年(明治26年)に徳島県議会議員となり、1898年ごろまでに埋め立てを終え、所有権も手に入れた。

これにちなみこの地は江川新田と呼ばれた。住所表示は現在の幸町三丁目の大半・南内町の大半と共に「塀裏町土手外」だった。塀裏とは本来は寺島(牟岐線の西側)の地名である。

新町川河岸に川港の中洲港が築かれ、大阪行きの定期航路が発着するようになった。1922年(大正11年)には内務省指定の重要港湾の徳島港となった。しかし船舶の大型化に伴い徳島港は海岸へ移動し、旧・中洲港はヨットハーバーのケンチョピアとなった。

西端にはかつては寺島川が流れ、中洲港・徳島港の一部となり、河口には中洲橋が架かっていた。しかし1960年ごろ埋め立てられ暗渠化し、現在は寺島排水機場で新町川に排水されている。埋立地は寺島公園と徳島中央警察署になった。

施設

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徳島中央警察署

公共施設

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公園

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オフィス

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  • 江川克己彰徳碑 - 中洲町二丁目

交通

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道路

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バス

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参考文献

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出典

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  1. ^ 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』「小字一覧」
  2. ^ 内町まちづくり協議会・徳島市内町公民館『写真で見る内町再発見 ひょうたん島今昔』2009年
  3. ^ a b 寺島公園を徳島町城内とし城内と中洲町が接しているとする住宅地図があるがおそらく誤り。
  4. ^ 徳島市:都市公園・緑地一覧

外部リンク

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