宮尾すすむ

日本のタレント

宮尾 すすむ(みやお すすむ、1934年昭和9年〉3月8日 - 2011年平成23年〉7月12日[1])は、日本タレント。本名は山口 進。

みやお すすむ
宮尾 すすむ
本名 山口 進
生年月日 (1934-03-08) 1934年3月8日
没年月日 (2011-07-12) 2011年7月12日(77歳没)
出生地 満洲国の旗 満洲国
鹿児島県阿久根市育ち)
死没地 日本の旗 日本東京都
国籍 日本の旗 日本
職業 タレント司会者
レポーター俳優
活動期間 1960年代 - 2009年
配偶者 1994年死別
著名な家族 山口雅史(長男)
主な作品
モーニングショー』(レポーター)
スターどっきり(秘)報告』(レポーター)
象印クイズ ヒントでピント』(解答者) 他
テンプレートを表示

来歴・人物

編集

満洲国(現・中国東北部)で生まれ、敗戦後は鹿児島県阿久根市へ引き揚げ、そこで青春時代を過ごす[2]鹿児島県立阿久根高等学校卒業。

鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)で洋服店を経営していたが(当時は、まだ珍しい月賦販売をしていた)[2]、事業に失敗し倒産。その後、上京してデパートの紳士服売り場に勤め1969年漫談家宮尾たか志に師事[2]

森進一のショーなどで歌手司会などを務めた後、タレントとしてテレビに進出しバラエティ番組の司会やリポーターなどの仕事を中心に活躍。特にフジテレビ系『スターどっきり(秘)報告』のレポーターとして一気に名を馳せた。

登場する時、顔の前で両手を交差させて、右手の平を右アゴに添えて「……ハイッ!」と叫ぶ決めポーズで一躍有名になる[3]。母親の仕草をモチーフにしたといわれている。

芸能界にデビューしてから永らく、「昭和16年(1941年)生まれ」と年齢をサバ読みしていた。これはデビュー当時、事務所の意向で「昭和ヒト桁生まれでは若々しさがない」と言われたからである。

リポーターを務めたテレビ朝日系『モーニングショー』の人気コーナー「宮尾すすむのああ日本の社長」は、日本各地の会社の社長、すなわち実業家(社長・会長などの経営者・創業者)に密着リポートする長寿シリーズとなった[2]

上記「ああ日本の社長」のセルフパロディコーナーである「宮尾すすむの社長のお嬢さん」というコーナーを、1990年から1991年にかけて放送されたバラエティ番組『GOB』(日本テレビ)で担当した。

その他、俳優としてテレビドラマ映画テレビコマーシャルにも出演。テレビ朝日系のクイズ番組象印クイズ ヒントでピント』の男性チーム解答者としても彼の存在を広く知られた。

1994年夏、全日空客室乗務員だった妻が47歳で死去後、緊急入院。退院後、正式に自らの生年を1934年と公表。

長男でタレントの山口雅史は新日本プロレスIGF実況ナビゲーターとして活動。

弟子としてお笑い・ものまねグループ「ルンルン・エクスプレス」がいた。「ルンルン・エクスプレス」には紅一点・あい京子(現在も斉藤京子としてソロ活動中)がいた。

阿久根市で育ったこともあることから、「薩摩大使」に任命された。

晩年は病気続きだった。1992年顎下腺腫瘍1994年には腸捻転2002年腰痛前立腺肥大の手術を受けた。2007年5月には東京都内でを運転中に意識を失い、前の車に追突、急性硬膜下血腫と診断された。それ以来、表舞台から遠ざかり、水頭症肺炎の検査を受けていたが、2011年6月半ばに食道癌が見つかり、医師からは手の施しようがなく余命3ヶ月と宣告された[4]。そして同年7月12日、肺炎のため東京都内の病院で死去[1]。77歳没。戒名は「馨光院誠徳進修居士」(けいこういんせいとくしんしゅうこじ)。葬儀・告別式は東京の高野山東京別院で執り行われ、長男が喪主を務め、高橋英樹森進一坂口征二が弔辞を読んだ。祭壇には1994年に死去した妻の遺影と位牌も並べられた。くしくも告別式が行われた7月18日は妻の命日だった。告別式には他に徳光和夫吉田秀彦蝶野正洋オスマン・サンコン八波一起ら芸能・財界・スポーツ関係者やファンら250人が参列した。

2009年に長男と共に鹿児島県人会の会合で司会を務めたのが生涯最後の仕事となった。

エピソード

編集
  • 『〜ヒントでピント』などで共演したおりも政夫フォーリーブス時代『スターどっきり(秘)報告』で宮尾にどっきりではめられたこともあったと述懐している[5]
  • 『〜ヒントでピント』などで共演した沢田亜矢子は、収録の合間に宮尾の決めポーズである「ハイッ!」を何回も練習させられた、と振り返っている[6]

出演番組

編集
その他、「イブニングふくしま」(福島放送)、「宮尾すすむの嫁さんきなせや」(テレビ新潟)、「宮尾すすむの出前カラオケ」(岩手朝日テレビ)、「宮尾すすむの探検ショッピング」(東日本放送)など地方局のテレビ番組テレビショッピングなどの司会などでも活躍した。

出演映画

編集
  • マンザイ太閤記(1981年) - 俵屋役
  • シブがき隊 ボーイズ&ガールズ(1982年) - オーナー役
  • はばたけ明日への瞳(公開日不明) - 谷口信三役 ※友情出演

著書

編集

関連項目

編集
元々は、リーダーでキーボードのマス宮尾の名前にかけたもので、宮尾すすむ本人には無断で命名されていたインディーズのロックバンド。のちに宮尾本人を訪れて詫びを入れて、メジャーデビューしている。

脚注

編集

注釈

編集

出典

編集
  1. ^ a b “宮尾すすむさん、肺炎のため死去”. デイリースポーツ. (2011年7月13日). オリジナルの2011年7月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110716094018/http://www.daily.co.jp/newsflash/2011/07/13/0004266642.shtml 2011年7月13日閲覧。 
  2. ^ a b c d “宮尾すすむさんが死去、77歳 テレビリポーターで活躍”. MSN産経ニュース. (2011年7月13日). オリジナルの2011年7月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110713203710/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110713/ent11071313460007-n1.htm 2022年10月5日閲覧。 
  3. ^ たけし軍団井手らっきょがこのモノマネを持ちネタとしている。
  4. ^ “宮尾すすむさん死去…6月食道がん発見も時遅く”. スポーツ報知. (2011年7月14日). オリジナルの2011年7月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110714220329/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110714-OHT1T00011.htm 2022年10月5日閲覧。 
  5. ^ “おりも政夫「どっきりではやられました」…宮尾すすむさん死去”. スポーツ報知. (2011年7月14日). オリジナルの2011年7月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110714220357/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110714-OHT1T00012.htm 2022年10月5日閲覧。 
  6. ^ “沢田亜矢子「ハイッ」猛練習…宮尾すすむさん死去”. スポーツ報知. (2011年7月14日). オリジナルの2011年7月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110714220353/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110714-OHT1T00013.htm 2022年10月5日閲覧。 
  7. ^ 宮尾は前期〜中期にかけて長期間出演し、その博識ぶりを見せた。また宮尾は男性軍のムードメーカーでもあり土居まさるが解答者を指名する際は「宮尾さん」と言っていた。
  8. ^ 「カネヨン」のCMでは、マッハ文朱(かつてヒントでピントで解答者として共演)とも共演していた。

外部リンク

編集