土岐 康貞(とき やすさだ)は、鎌倉時代後期から室町時代の守護大名。久々利氏の祖[1]。兄に土岐頼康がいる[2]。
南北朝時代に久々利城を築城した[3]。観応3年/正平7年(1352年)3月、荒坂山にて和田正武に討ち取られた[2]。