土岐頼清

鎌倉時代後期から南北朝時代の武将、守護大名。土岐頼貞の六子六男。伊予守護。子に明智頼兼

土岐頼清(とき よりきよ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将守護大名土岐頼貞の六男。

 
土岐頼清
時代 鎌倉時代後期 - 南北朝時代
生誕 不明
死没 延元元年/建武3年6月1日1336年7月4日
改名 頼宗(初名)→頼清
別名 六郎(通称)
墓所 岐阜県揖斐郡揖斐川町小島瑞岩寺[1]
氏族 土岐氏
父母 父:土岐頼貞
兄弟 頼直、高頼(妙光)、乾道謙、舟木頼衡、墨俣頼連(周崔)、頼清(頼宗)、頼遠、頼仲、長山頼基、頼兼、頼里、頼明
頼康、明智頼兼、頼雄、康貞、直氏、頼忠
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美濃池田郡に住んでいた[1][2]建武の新政伊予守護に任じられた[2]

脚注

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  1. ^ a b 土岐頼清・頼康父子の墓[ときよりきよ・よりやすふしのはか - 岐阜県公式ホームページ(文化伝承課)]”. www.pref.gifu.lg.jp. 2020年10月24日閲覧。
  2. ^ a b 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “土岐頼清とは”. コトバンク. 2020年10月24日閲覧。