国光五郎
国光 五郎(くにみつ ごろう、1880年(明治13年)9月3日[1] - 1951年(昭和26年)2月3日[2])は、日本の政治家・衆議院議員(立憲政友会)[3]、地主[3]。
経歴
編集山口県阿武郡萩(現在の萩市)に石津潤一の五男として生まれ、国光佐一の養子となった[4]。1906年(明治39年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業した[1]。高等文官試験に合格し、三重県属、内務属、佐賀県事務官、広島県事務官を歴任した[5]。
1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
その後、山口県会議員や岩田村長を務め、また農業を営み山口県農会長・帝国農会議員を務めた[5]。
1935年(昭和10年)、衆議院で補欠当選を果たし[6]、第19回衆議院議員総選挙・第20回衆議院議員総選挙でも再選された。
その他、長周銀行監査役、南朝鮮電気株式会社監査役、天安電灯株式会社取締役などを務めた[5]。