品川高寛
日本の江戸時代前期~中期の武士。江戸幕府旗本品川高久次男で、高家旗本品川氏分家初代当主(下野都賀郡内200石。後に切米100俵加増)
品川 高寛(しながわ たかひろ)は、江戸時代前期の旗本。高家品川高久の次男で分家を立てた。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和2年(1616年) |
死没 | 元禄10年閏2月8日(1697年3月30日) |
別名 | 主馬、権大夫(通称) |
戒名 | 道喜 |
墓所 | 万昌院 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
氏族 | 清和源氏足利氏流今川氏庶流品川家 |
父母 | 父:品川高久、母:鷲尾筑後の娘 |
兄弟 | 品川高如、女(八木九郎右衛門室)、高寛、女(岡山弥清室) |
子 | 今川氏睦、女(遠山頼直養女)、高清、女(一色定尚室) |
生涯
編集寛永7年(1630年)、15歳で将軍徳川家光に初謁、下野国都賀郡で200石の知行を与えられる。寛永14年(1637年)、御小姓組に列し、万治3年(1660年)12月26日に切米100俵加増。寛文9年(1669年)閏8月10日には日頃の勤めが賞せられ、黄金2枚が与えられる。
延宝6年(1678年)6月に番方を辞し小普請入り。元禄7年(1694年)12月7日に致仕して次男高清に家督を譲る。長男(今川氏睦)はこれより先、延宝元年(1673年)に今川氏堯の末期養子として高家今川家を継がせている。
元禄10年(1697年)閏2月8日死去、享年82。本家品川家やほかの今川・吉良一族同様、牛込の万昌院に葬られ、ここを杉山寺とする。
参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜』巻第九十四