千乗郡
千乗郡(千乘郡、せんじょう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。漢代に現在の山東省の淄博市・浜州市・東営市にまたがる地域に設置された。
概要
編集前漢の初め、斉国に属した。紀元前110年(元封元年)、斉王劉閎が死去して、斉国が廃止される[1]と、武帝はこれを斉郡と千乗郡に二分した。千乗郡は青州に属し、千乗・東鄒・湿沃・平安・博昌・蓼城・建信・狄・琅槐・楽安・被陽・高昌・繁安・高苑・延郷の15県を管轄した。『漢書』によれば前漢末に11万6727戸、49万720人があった[2]
王莽のとき、建信郡と改称された。後漢が建てられると、千乗郡の称にもどされた[3]。
後漢の初年に千乗郡は張歩に占拠された。29年(建武5年)、張歩が後漢に降ると、千乗郡は後漢の統治下に入った[4]。60年(永平3年)、劉建が千乗王となると、千乗郡は千乗国に改められた[5]。千乗国は臨済・千乗・高苑・楽安・博昌・蓼城・利・益・寿光の9県を管轄した[6]。95年(永元7年)、千乗国は楽安国と改められた[7]。