加藤泰令

日本の江戸時代後期~大正時代の大名・知藩事・子爵。伊予新谷藩8代藩主加藤泰理長男で、新谷藩9代藩主。正三位山城守・出雲守

加藤 泰令(かとう やすのり、天保9年3月18日1838年4月12日) - 大正2年(1913年2月23日)は、日本の華族伊予新谷藩の第9代(最後)の藩主、新谷藩知事

加藤泰令

系譜

編集

第8代藩主・加藤泰理の長男。母は慶寿院。正室は加藤泰幹の娘。子は加藤泰成(次男)。官位は正三位、山城守、出雲守。幼名は真之助。爵位は子爵

経歴

編集

文久2年(1862年)12月20日、父の隠居で跡を継ぐ。元治元年(1864年)6月、農民鉄砲隊である「郷組」を組織する。その農兵隊のほか、藩兵をもって新政府軍として行動した。明治2年(1869年)6月、版籍奉還により知藩事となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官される。同年9月に東京へ移り、明治17年(1884年)7月8日に子爵となる。その後も正三位に叙任された。大正2年(1913年)2月23日、76歳で死去した。墓所は東京都松が谷の海禅寺。

栄典

編集

脚注

編集
  1. ^ 『太政官日誌』明治6年、第157号
  2. ^ 『官報』第308号、1884年7月9日。
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
新谷加藤家初代
1884年 - 1913年
次代
加藤泰成