内藤 政里(ないとう まささと)は、江戸時代中期の大名。名は政能とも。上野国安中藩の第2代藩主官位従五位下山城守挙母藩内藤家4代。

 
内藤政里
時代 江戸時代中期
生誕 正徳3年(1713年
死没 延享3年4月30日1746年6月18日
改名 金一郎(幼名)、政里
別名 政能
官位 従五位下山城守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重
上野安中藩
氏族 内藤氏
父母 内藤政森:不詳
兄弟 政里政則大田原建清正室ら
正室脇坂安清の娘
政陽政苗
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経歴

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初代主・内藤政森の次男として誕生。幼名は金一郎。

享保18年(1733年)4月6日、父の隠居により跡を継ぐ。延享3年(1746年)に34歳で死去し、跡を次男・政苗が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女

脚注

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  1. ^ 内藤政樹の養子