内藤政苗
内藤 政苗(ないとう まさみつ)は、江戸時代中期の大名。上野国安中藩の第3代藩主、三河国挙母藩の初代藩主。官位は従五位下・丹波守。挙母藩内藤家5代。
内藤政苗 | |
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
生誕 | 寛保元年5月19日(1741年7月1日) |
死没 | 享和2年2月30日(1802年4月2日) |
官位 | 従五位下丹波守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家重→家治 |
藩 | 上野安中藩主→三河挙母藩 |
氏族 | 内藤氏 |
父母 | 父:内藤政里、母:脇坂安清の娘 |
兄弟 | 政陽、政苗ら |
妻 | 正室:朽木玄綱の娘・浄鏡院 |
子 |
政平、今井好用室、神谷清俊養女、大久保忠陽継室 養子:学文 |
略歴
編集安中藩2代藩主・内藤政里の次男として誕生。延享3年(1746年)、父の死去により跡を継ぐ。
寛延2年(1749年)2月6日、三河挙母に移封される。明和3年(1766年)、養子・学文(徳川宗将の四男)に家督を譲って隠居し、享和2年(1802年)に62歳で死去した。
系譜
編集父母
正室
- 浄鏡院 ー 朽木玄綱の娘
側室
- 山口氏
子女
養子