信玄餅
信玄餅(しんげんもち)は、山梨県北杜市に所在する菓子製造メーカーの金精軒株式会社が製造・販売する土産菓子、和菓子。同社の登録商標(第1015994号他)である。武田信玄が絶賛したことにより、信玄餅という名前になったという説もある。
特徴
編集求肥と餅米で作った餅に、きな粉をまぶした餅菓子で、黒蜜をかけ、付属の楊枝で食べる。食べる際にきな粉や黒蜜が溢れるため、金精軒が薦める「信玄餅の食べ方」がある。
起源
編集甲斐の戦国大名・武田信玄が出陣の際、非常食としていた砂糖入りの餅にちなんで作られた、という逸話と、山梨県ではお盆に食べるのが風習となっている安倍川餅から由来した、という2つのルーツを持っている。
販売当初は現在の土産品形態ではなく、安倍川餅のような大きな切り餅を求肥加工し、きな粉とまぶし、黒蜜をつけて「信玄餅」と銘打って販売していた。その後、現在の個包装へ形態が変わり、土産品として定着した。現在、信玄餅を販売する金精軒では、販売当初の信玄餅を再現した「極上生信玄餅」も販売している。
水信玄餅
編集信玄餅の派生形として水信玄餅がある。北杜市の白州町から湧出しているミネラルウォーターに寒天を少量加えたものである。透明度と食感を表現するため固形化できるギリギリの量の寒天を使用していることから常温だと水が染み出し続け、30分でしぼんでしまい販売できなくなる。そのため金精軒の店舗である「台ヶ原金精軒」(台ヶ原店、韮崎店)のみしか取り扱っておらず、かつ販売時期も6月から9月までの土・日曜日のみとなっている。
「桔梗信玄餅」との違い
編集北杜市の金精軒が製造・販売する「信玄餅」のほか、笛吹市の桔梗屋が製造・販売する「桔梗信玄餅」も存在する。桔梗屋の「信玄餅」は1968年(昭和43年)、金精軒の「信玄餅」は1972年(昭和47年)に発売された。
桔梗屋の「桔梗信玄餅」は1970年(昭和45年)に「第5回新作観光土産品コンクール」(現・やまなし観光土産品コンクール)へ出品され、翌1971年(昭和46年)4月1日付山梨日日新聞への広告するも、桔梗屋の商品名「信玄餅」は金精軒の「信玄最中しんげんもなか」(信玄餅とは別商品の最中)と同一の商標区分上で類似しており、「桔梗」を追加して「桔梗信玄餅」へ名称変更して争いを回避している。後に金精軒は「信玄餅」を商標出願して商標番号1015994号で登録され「信玄餅」を発売[1]している。
よって正しい解釈は「最初に信玄餅を売り出したのは桔梗屋であるが、現在、「桔梗」が付かない「信玄餅」という商標を取得して売っているのは金精軒」である。
双方独自のオンラインショップを設けて販売しているほか、甲府駅では改札外土産コーナーで桔梗信玄餅を、改札内のNewDaysで信玄餅を扱っている。また、山梨県観光協会が東京駅八重洲口付近に出店しているアンテナショップ「富士の国やまなし館」など両者併売店舗では、桔梗屋か金精軒か確認される場合がある。
桔梗屋は他にも「信玄」を冠する商品を発売しているが、「桔梗信玄餅」派生商品は「桔梗信玄」と「桔梗」を冠し、「桔梗信玄餅」に関連しない独自商品(「信玄桃」など)は「桔梗」の文字を省略している
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 金精軒
- 金精軒 (@kinseiken_jp) - X(旧Twitter)