伊敷村
伊敷村(いしきむら)は、鹿児島県中部にあった村。1950年10月1日に東桜島村とともに鹿児島市へ編入され自治体としては消滅した。平成の大合併以前の鹿児島市域の北西にあたる。
いしきむら 伊敷村 | |
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伊敷村の中心部である伊敷電停(1950年頃) | |
廃止日 | 1950年10月1日 |
廃止理由 |
編入合併 伊敷村、東桜島村 → 鹿児島市 |
現在の自治体 | 鹿児島市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 鹿児島県 |
郡 | 鹿児島郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 58.15 km2 |
総人口 |
24,939人 (1950年4月1日) |
隣接自治体 | 鹿児島市、鹿児島郡吉田村、日置郡郡山村、伊集院町、上伊集院村 |
他のシンボル | - |
伊敷村役場 | |
所在地 |
鹿児島県鹿児島郡伊敷村大字上伊敷 |
座標 | 北緯31度37分34秒 東経130度31分36秒 / 北緯31.626度 東経130.526639度座標: 北緯31度37分34秒 東経130度31分36秒 / 北緯31.626度 東経130.526639度 |
伊敷村の位置図(地図は1950年時点) | |
ウィキプロジェクト |
地理
編集伊敷村は鹿児島県中央部、鹿児島市の北方にあり、東経30度31分、北緯31度36分に位置している。村域は中央部を流れる甲突川がつくった沖積低地と山地からなっている[1]。村役場は大字上伊敷(現在の伊敷)に置かれていた。
河川
編集- 甲突川
- 川田川
大字
編集伊敷村は上伊敷、下伊敷、小野、永吉(1920年(大正9年)に鹿児島市に編入)、犬迫、小山田、比志島、皆房の8大字から構成されていた。
伊敷村域は現在の鹿児島市伊敷町、伊敷、下伊敷、伊敷台、千年、若葉町、小野町、小野、犬迫町、小山田町、皆与志町、永吉、明和、原良町、原良、草牟田町、草牟田、玉里町の全域および玉里団地、西伊敷、武岡、城山、城西の各一部に当たる。
歴史
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、鹿児島郡上伊敷村、下伊敷村、小野村、永吉村、犬迫村、小山田村、比志島村、皆房村の区域より鹿児島郡伊敷村が成立。
- 1911年(明治44年)9月30日 - 大字下伊敷字草牟田(草牟田)を鹿児島市に編入[2][3][4]。
- 1920年(大正9年)10月1日 - 大字下伊敷字紙屋谷(玉里[5])および伊敷村大字永吉(永吉[5]、原良[5])を鹿児島市に編入[6][7]。
- 1948年(昭和23年)3月7日 - 旧警察法の規定により伊敷村警察が設置される[8]。
- 1949年(昭和24年)3月27日 - 鹿児島市編入に関する住民投票が行われ、賛成多数で編入することが決定した[1]。
- 1950年(昭和25年)10月1日 - 鹿児島市へ編入(この際上伊敷は伊敷町と改称され、比志島と皆房は統合されて皆与志町となった[9][10])[11]。
村名の由来
編集産業
編集産業としては農業が主であったが、石材加工を行う工場もあった[1]。また、小山田に九州初の水力発電所である小山田発電所がある[14]。
行政
編集歴代村長
編集町村制施行以降の村長を記載する。表記は『伊敷村誌 村制六十周年記念』14頁に基づく[15]。但し、旧字体については新字体に置換えるものとする。
代 | 氏名 | 就任期間 |
---|---|---|
初代村長 | 川崎祐賢 | 1889年5月21日 - 1892年4月23日 |
二代村長 | 湯田静彦 | 1892年5月1日 - 1894年1月7日 |
三代村長 | 佐藤仲之丞 | 1894年1月18日 - 1898年1月7日 |
四代村長 | 床次金次 | 1898年1月18日 - 1919年1月17日 |
五代村長 | 川路與熊 | 1919年1月18日 - 1946年7月13日 |
六代村長 | 稲葉三次郎 | 1946年7月14日 - 1946年11月21日 |
七代村長 | 高附栄次郎 | 1947年4月8日 - 1950年9月1日 |
行政組織
編集「伊敷村誌」による行政組織は以下のとおりである[16]。
- 村長
- 助役
- 総務課
- 庶務係、戸籍係
- 教育民政課
- 教育係、厚生係、衛生係
- 勧業課
- 産業係、経済係、指導係
- 財務係
- 第一係、第二係
- 総務課
- 収入役
- 財務課会計係
- 助役
出張所
編集伊敷村役場には以下の出張所が置かれていた[17]。
- 上伊敷出張所
- 下伊敷出張所
- 小野出張所
- 犬迫出張所
- 小山田出張所
- 皆与志出張所
- 皆房出張所
警察
編集伊敷村は警察法施行令(昭和23年政令第51号)により旧警察法第40条に定める市及び市街的町村(人口5,000人以上の町村)に指定された[18]。これにより伊敷村に自治体警察である伊敷村警察が置かれた[8]。鹿児島市編入後は鹿児島市警察の管轄下となった[19]。
- 伊敷村警察(大字下伊敷666番地) - 市町村公安委員会である伊敷村公安委員会の監督を受けた[8]。
- 伊敷村警察署
- 警務課
- 刑事課
- 警邏交通課
- 伊敷村警察署
人口
編集以下の人口遷移表は『伊敷村誌 村制六十周年記念』の9頁の記述及び1950年のデータについては『鹿児島県市町村変遷史』の記述に基づく[20]。
- 凡例
人口(人) | 世帯数(戸) |
1901年 | 16,546 | |
2,778 | ||
1907年 | 17,727 | |
3,292 | ||
1916年 | 20,059 | |
3,347 | ||
1920年 | 16,428 | |
3,289 | ||
1925年 | 16,860 | |
3,289 | ||
1930年 | 17,652 | |
3,448 | ||
1934年 | 17,377 | |
3,289 | ||
1944年 | 18,523 | |
3,778 | ||
1947年 | 15,394 | |
5,202 | ||
1950年 | 24,939 | |
5,021 |
教育
編集- 中学校
- 小学校
- 伊敷村立伊敷小学校(上伊敷)
- 伊敷村立玉江小学校(小野)
- 伊敷村立小山田小学校(小山田)
- 伊敷村立犬迫小学校(犬迫)
- 伊敷村立皆与志小学校(比志島)
施設
編集1897年(明治30年)から1945年(昭和20年)まで第6師団歩兵第45連隊の連隊本部が現在の鹿児島県立短期大学の敷地に設置されていた。
郵便局
編集- 伊敷郵便局
- 河頭郵便局(後の鹿児島西郵便局)
刑務所
編集交通
編集道路
編集鉄道
編集伊敷村出身の著名人
編集脚注
編集- ^ a b c 伊敷村 1950, p. 56.
- ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 520.
- ^ 市村の境界変更(明治44年鹿児島県告示第400号、明治44年8月4日付鹿児島県公報3151号所収、 原本)
- ^ 南日本新聞 1990, p. 818.
- ^ a b c 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 422.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 783.
- ^ 市村の境界変更(大正9年鹿児島県告示第470号、大正9年9月22日付鹿児島県公報第1113号所収、 原文)
- ^ a b c 伊敷村 1950, p. 85.
- ^ 鹿兒島市の一部大字の變更(昭和25年鹿児島県告示第412号、昭和25年10月1日付鹿児島県公報第3305号所収、 原文)
- ^ “かごしま市政だより(昭和25年10月号)”. 鹿児島市 (1950年10月20日). 2021年4月16日閲覧。
- ^ 昭和25年総理府告示第301号(市村の廃置分合、昭和25年10月17日付、 原文)
- ^ 伊敷村 1950, p. 1.
- ^ 伊邇色神社 - 鹿児島市 2012年7月8日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 684.
- ^ a b 伊敷村 1950, p. 14.
- ^ 伊敷村 1950, p. 12-13.
- ^ 伊敷村 1950, p. 13.
- ^ 警察法施行令(昭和23年政令第51号、昭和23年3月6日付官報号外所収、NDLJP:2962871/6)
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 293.
- ^ 伊敷村 1950, p. 9.
- ^ 伊敷村 1950, p. 100.
参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 鹿児島県鹿児島郡伊敷村 (46B0070001) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ