中村慶一郎
中村 慶一郎(なかむら けいいちろう、1934年〈昭和9年〉6月29日 - 2020年〈令和2年〉10月29日)は、日本の政治評論家、元読売新聞政治部記者。内閣総理大臣秘書官(三木内閣)、内閣官房参与、国民新党顧問を務めた。
なかむら けいいちろう 中村 慶一郎 | |
生年月日 | 1934年6月29日 |
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没年月日 | 2020年10月29日(86歳没) |
出身地 | 東京府 |
国籍 | 日本 |
学歴 | 早稲田大学政治経済学部 |
職業 | ジャーナリスト |
活動期間 | 1957年 - 2020年 |
他の活動 | アール・エフ・ラジオ日本報道部長 日本テレビ放送網解説者 |
略歴
編集東京府の出身で、早稲田大学政治経済学部を卒業後の1957年に読売新聞社へ入社して地方部と政治部に勤務する。政治部で三木派の番記者を務めた。
1974年に読売新聞社を退職して12月に発足した三木内閣で総理秘書官を務めた。三木内閣退陣後はラジオ関東報道部長を経て、政治評論家として日本テレビ系列の「読売新聞あすの朝刊」でニュースキャスターを、早朝番組「ルンルンあさ6生情報」と「ジパングあさ6」、深夜ニュースワイド「NNNきょうの出来事」でそれぞれコメンテーターを担当した[要出典]。
森喜朗総理大臣から内閣官房参与(広報担当)に起用される。2000年11月9日に加藤紘一は、「森首相に(内閣)改造はやらせない」と後の加藤の乱の契機となる倒閣宣言を中村を含む5人の政治評論家らを前にして語るが、居合わせた中村は内閣官房参与という立場もあり、加藤の倒閣宣言はすぐに中村から森首相に伝わった[1]。
2007年7月の第21回参議院議員通常選挙に国民新党公認で比例区から立候補を表明したが、選挙直前に東京都選挙区(定数5)に鞍替えて約15万票を獲得したが得票数9位で落選[2]する。その後も国民新党の顧問を務め、2009年の総選挙に比例東京ブロックから立候補して落選[3]し、国民新党は2013年に解党した。
出演
編集いずれも日テレ
著書
編集- 『三木政権747日 : 戦後保守政治の曲がり角』行政問題研究所出版局、1981年1月1日。NDLJP:12284671。
- 『河本敏夫・全人像』行政問題研究所出版局〈行研political hopefulシリーズ〉、1982年9月28日。NDLJP:12194380。
- 『政治一筋 : 毛利松平の闘い』投資ジャーナル、1983年3月。NDLJP:12261241。
- 『田中角栄戦国史 : 政治天才・権力支配の構図』ビジネス社、1985年9月26日。NDLJP:12231499。(新版1994年)
- 『「腹芸」の研究 : 自分を優位に導く勝者の機略術』経済界〈Ryu selection〉、1985年10月31日。NDLJP:12129612。
- 『総理の器 : 「業の世界」を生ききるリーダーの条件』(光文社、1996年)
- 『天運天職 : 戦後政治の裏面史、半生、巨人軍を明かす』(渡邉恒雄の回想で中村は聞き役。光文社、1999年)
- 『昭和政争 闇将軍・角栄最後の1000日』(講談社、2019年)
脚注
編集- ^ 五百旗頭真、伊藤元重、薬師寺克行 『森喜朗 自民党と政権交代』 朝日新聞社、2017年10月5日、263-264頁。ISBN 978-4022503381
- ^ “選挙区 東京都:開票結果:参院選2007”. YOMIURI ONLINE (読売新聞) 2013年2月16日閲覧。
- ^ “国民新党 - 政党別開票結果 - 2009総選挙”. asahi.com (朝日新聞) 2020年9月30日閲覧。
- ^ 『読売新聞』2020年11月3日朝刊28面
- ^ 中田宏 [@NAKADAHiroshi] (2020年11月3日). "政治評論家の中村慶一郎氏が死去。ありし日のお姿を…… 読売新聞訃報記事写真". X(旧Twitter)より2020年11月16日閲覧。
- ^ 石破茂 (2020年11月13日). “中村慶一郎氏ご逝去など” (jp.). ココログ. 石破茂オフィシャルブログ「立て直す。日本を、地域を、自民党を!」. ニフティ. 2020年11月16日閲覧。