中島 俊哉(なかしま としや、1980年6月10日 - )は、福岡県筑後市出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

中島 俊哉
楽天選手時代
(2011年8月30日、こまちスタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県筑後市
生年月日 (1980-06-10) 1980年6月10日(44歳)
身長
体重
180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2002年 ドラフト8位
初出場 2004年3月29日
最終出場 2014年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

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プロ入り前

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小学6年から野球を始める(それまではソフトボールをしていた)。福岡工大附高校(現・福岡工大附城東高校)に進学。2年時に「4番・一塁手」として第79回全国高等学校野球選手権大会に出場。当時のエースは同学年の小椋真介。甲子園での打率は.500を記録したが、3回戦で中谷仁擁する智弁和歌山高校に敗れベスト8進出はならなかった。

その後九州国際大学に進学し硬式野球部に所属。大学4年次の2002年に4番打者として大学野球選手権大会ベスト8、明治神宮大会では久保裕也東海大)から決勝の先制適時打を放ちベスト4に進出した[1]。大学の1学年後輩に嶋村一輝、3学年後輩に川島慶三がいる。

2002年のドラフト会議オリックス・ブルーウェーブから8位指名を受けて入団。オリックスが2000年のドラフトから3年間採用していた「契約金ゼロ選手」として入団している[注釈 1]背番号は「64」。

オリックス時代

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2003年は一軍昇格はならなかったが、ウエスタン・リーグで活躍しフレッシュオールスターゲームサーパス神戸所属でオールウェスタンの一員に出場した。

2004年3月29日、7回に代打として一軍初出場を果たす。7月8日の千葉ロッテマリーンズ戦で7回にダン・セラフィニから一軍初安打を打つ。同年の一軍出場は6試合にとどまった。

楽天時代

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2004年オフの分配ドラフトを経て東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍した。背番号は64。

2005年は肩を痛めたこともあり一軍出場はなく、2006年も2年連続で一軍出場はなかった。

2007年は二軍での活躍が認められ6月17日に3年ぶりに一軍登録されると[注釈 2]、当日の横浜ベイスターズ戦(フルスタ宮城)で「8番・左翼手」として先発出場した。2回裏に逆転となる2点適時二塁打土肥義弘から打ち、プロ初打点を挙げた。試合終了後は初のヒーローインタビューを経験した。しかし調子を落とし、7月9日に二軍落ち。その約2週間後に左ハムストリングを痛め、最終日まで一軍復帰は果たせなかった。

2008年は、4月上旬に一軍昇格し、左投手キラーとして相手先発投手が左投手の時にほぼ全試合と言っていいほど出場。5月28日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で内海哲也からプロ初本塁打を打った。6月3日の阪神タイガース戦では、本拠地Kスタ宮城での初本塁打(プロ第2号)を打ってお立ち台に上がる。そのヒーローインタビューの最中に同僚の草野大輔横川史学から祝福のペットボトルの水を思いがけず背後から浴びせられ、仰天顔の写真が翌日のスポーツ紙の一面を飾った。またこの試合後、監督の野村克也は「中島? 顔覚えたよ。国分町で会っても分かるよ」と中島を認めるコメントを出した。その後も、夏場には右投手の時にも先発出場を果たすなどシーズンを通して好調を保ち、ほぼ1シーズン一軍に帯同し、規定打席未満ながら打率.315、5本塁打、25打点と成長を見せた。日刊スポーツの担当記者らが選ぶ「2008年楽天年間MVP」の野手部門に選出され、ファン感謝祭で記念品が贈呈された[3]

2009年は4月半ばに一軍昇格し、前年と同じく左投手キラーとして出場していたが、7月に左有鈎骨を骨折し2ヵ月間戦線離脱。結局前年を下回る成績となった。しかし、クライマックスシリーズでは杉内俊哉から本塁打を打つなど活躍した。オフに結婚を発表した[4]。また、礒部公一の背番号8を譲り受けた[4]

2010年はキャンプで怪我をして出遅れ、夏場に一軍昇格するも、7打席しか与えられずに二軍落ちとなった。同じ右打ちの外野手である牧田明久の台頭もあり、再昇格することはなかった。10月3日には第一子となる長女が誕生した[5]

2011年、4月12日のロッテ戦に相手先発が左投手の成瀬善久だったこともあり開幕スタメン出場し、2安打を記録。5月8日の埼玉西武ライオンズ戦では2年ぶりとなる本塁打を帆足和幸から打った。しかし、打率は一割台に低迷し、5月19日には左脇腹肉離れで二軍落ちとなった。8月に再昇格するも、なかなか調子を上げられないままシーズンを終えた。

2012年5月30日の巨人戦(東京ドーム)で9回二死で先発投手田中将大の代打として出場。この年から巨人入りした杉内俊哉と対戦。楽天は杉内相手に9回二死まで1人も走者を出せず、中島も凡退すれば完全試合達成という状況に迫られていたが、フルカウントから四球を選び出塁。完全試合を免れた。なお、杉内はその後、次の打者聖澤諒を三振に仕留め、ノーヒットノーラン達成となった。前半戦は好調だったものの、後半戦になると調子を落とし9月上旬に二軍降格。9月下旬に一軍に復帰するも、3打数無安打と結果を残せなかった[6]

2013年、5月2日には第二子となる長男が誕生[7]。6月9日の巨人戦では、プロ初本塁打の相手である内海から、自身2年ぶりの本塁打を打った[8]。この年にチームが初めてパシフィック・リーグで優勝したことから、ポストシーズンでも、クライマックスシリーズ・ファイナルステージ日本シリーズで左投手が登板した試合にスタメンや代打で出場している。シーズンオフの12月7日には、背番号を52へ変更することが発表された[9]

2014年は出場試合は4試合に留まり、10月28日に球団から戦力外通告を受け[10]、11月22日に現役引退を発表[11]。11月27日に任意引退公示された[12]。11月23日のファン感謝祭の中で引退セレモニーが執り行われた。

現役引退後

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2015年に楽天球団職員(ジュニアコーチ)就任。同年2月にはレポーターとしてチームの久米島キャンプに同行した。

選手としての特徴

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楽天選手時代

長打力のある打撃が武器[2]で、ツボに来れば鋭い打球をスタンドに叩き込むが、緩急に翻弄されてしまうなど[13]、対応力に課題があった。手首の強さが売りで、それに頼った強引な打撃をしていたが、2006年の秋季キャンプからの打撃フォーム改善により対応力が向上した。中島の構えはバットのヘッドを投手側に傾けるという特徴的なものであったが、2008年の春季キャンプで更に改良し、バットを立てて構えるようになった[14]。左投手には滅法強く「左キラー」とも呼ばれた[4]

上原浩治の公式YouTubeチャンネルに2021年7月に公開された動画で森本稀哲は、松坂世代の中で一番強い指名打者として彼を挙げた[15]

人物

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愛称の「シャーパー」は地元の学校での「シャープにコンパクトに」という意味の掛け声からきている。サーパス時代にその掛け声を発したところ、同僚に全く理解されず、そのまま愛称として定着した[16]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2004 オリックス 6 10 10 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .100 .100 .100 .200
2007 楽天 8 16 15 1 6 1 0 0 7 2 0 1 0 0 1 0 0 4 0 .400 .438 .467 .904
2008 81 205 178 27 56 10 1 5 83 25 1 2 1 1 21 0 4 28 5 .315 .397 .466 .863
2009 47 114 104 9 29 4 0 1 36 8 0 1 0 1 7 1 2 17 3 .279 .333 .346 .679
2010 4 7 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .143 .143 .143 .286
2011 43 82 72 8 14 3 0 2 23 6 1 0 7 0 2 0 1 13 0 .194 .227 .319 .546
2012 58 108 96 7 24 2 0 0 26 6 1 1 5 0 7 0 0 15 0 .250 .301 .271 .572
2013 45 90 82 7 19 4 0 1 26 3 0 0 2 0 6 0 0 8 3 .232 .284 .317 .601
2014 4 9 9 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .111 .111 .111 .222
通算:9年 296 641 573 59 151 24 1 9 204 50 3 5 15 2 44 1 7 91 11 .264 .323 .356 .679

年度別守備成績

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外野 一塁
























2007 楽天 5 4 1 0 0 1.000 -
2008 73 92 1 1 1 .989 -
2009 39 64 1 1 0 .985 -
2010 1 2 0 0 0 1.000 -
2011 33 33 0 0 0 1.000 -
2012 25 28 3 0 1 1.000 -
2013 32 40 1 1 0 .976 1 1 1 0 0 1.000
2014 2 6 0 0 0 1.000 -
通算 210 269 7 3 2 .989 1 1 1 0 0 1.000

記録

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背番号

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  • 64 (2003年 - 2009年)
  • 8 (2010年 - 2013年)
  • 52 (2014年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 中島以外の選手は2005年までに全員解雇されており、中島は最も長くプロでプレーした[2]
  2. ^ 楽天の創立メンバーでは最後に一軍に昇格した選手となる。

出典

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  1. ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球2003春季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社
  2. ^ a b 最後の「契約金ゼロ枠」選手」 Baseball Journal(2010年5月10日)、2011年11月29日閲覧。
  3. ^ “楽天担当記者が選ぶ野手MVPに中島外野手”. 日刊スポーツ. (2008年11月11日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081111-428374.html 2020年9月11日閲覧。 
  4. ^ a b c 楽天の「新8マン」中島が結婚」 日刊スポーツ(2009年10月9日)、2011年11月29日閲覧。
  5. ^ 中島俊哉選手に第一子(長女)が誕生」 東北楽天ゴールデンイーグルス(2010年10月9日)、2011年11月29日閲覧。
  6. ^ “楽天中島「左キラー」復活だ”. 日刊スポーツ. (2012年10月20日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121020-1035037.html 2012年10月22日閲覧。 
  7. ^ 中島俊哉選手 第二子(長男)誕生のお知らせ”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2013年5月5日). 2013年5月5日閲覧。
  8. ^ “中島が2年ぶりの1号弾”. 日刊スポーツ. (2013年6月9日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130609-1140200.html 2013年6月15日閲覧。 
  9. ^ “楽天・中島、背番号が「8」から「52」に変更”. SANSPO.COM. (2013年12月7日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20131207/gol13120716140004-n1.html 2013年12月18日閲覧。 
  10. ^ 来季の選手契約に関して楽天球団公式サイト2014年10月28日配信
  11. ^ 中島俊哉選手の現役引退に関して楽天球団公式サイト2014年11月22日配信
  12. ^ 2014年度 任意引退選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年11月27日閲覧。
  13. ^ 『プロ野球カラー名鑑2007』ベースボール・マガジン社、2007年、135頁。ISBN 978-4-583-61449-6 
  14. ^ 【楽スポ・キャンプ】中島、フォーム改良で臨む”. Infoseek ニュース (2008年2月15日). 2012年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月22日閲覧。
  15. ^ 【プロ入り94名】森本稀哲が選ぶ松坂世代ベストナイン【ホームラン打つのにフライが捕れない男?】【謎の強打者シャーパって誰?】【もはや家族同然SP 2/4】【巨人】 上原浩治の雑談魂 2021/07/02 (2021年7月5日閲覧)
  16. ^ シャーパーこと中島俊哉です。」 楽天イーグルスファームブログ(2006年10月23日)、2011年11月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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