上尾下
上尾下(あげおしも)は、埼玉県上尾市の大字。郵便番号は362-0025[3]。
上尾下 | |
---|---|
北緯35度58分18.92秒 東経139度36分39.09秒 / 北緯35.9719222度 東経139.6108583度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 上尾市 |
地区 | 上尾地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.5097[1] km2 |
人口 | |
• 合計 | 2,839人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
362-0025[3] |
市外局番 | 048(浦和MA)[4][5] |
ナンバープレート | 大宮 |
座標の場所は陣屋公民館を示す |
市の統計などでは上尾地区で分類されている。
地理
編集埼玉県の県央地域で、上尾市南部の主に大宮台地上[6]に位置する芝川左岸沿いの南北に細長い形をしている地域である。町域の東側を大字原市、南側を五番町やさいたま市北区吉野町、西側を日の出や東町、北側を二ツ宮と隣接する。町域の北部を上尾環状線が東西に通る。また、町域の西境を芝川が南北に流れ、上流から国体橋、新橋、日の出橋(日ノ出橋とも)、西長橋が架かる。
全体的には市街化区域[7]で主に第一種住居地域(上尾環状線沿いは第二種住居地域)の住宅地が広がっているが、市街化調整区域となる芝川流域周辺を中心に農地も見られる。また、浸水常襲地区[8]である。芝川周辺は1950年代まで帯状に水田が広がっていた[9]。工業地域に指定され、三井金属鉱業の工場などがある地区の北部はかつては山林であった[10]。
地内に「長橋遺跡」(県遺跡番号:14-151[7])や「榎戸遺跡」(県遺跡番号:14-108)があり、土器片が発掘された。
地価
編集住宅地の地価は、2018年(平成30年)の公示地価によれば、大字上尾下字長橋835番7の地点で9万2900円/m2となっている[11]。
歴史
編集もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡上尾領に属する上尾下村であった[6]。延宝年間(1673年〜1681年)頃に江戸初期より存在した上尾町[注釈 1]より旗本3氏の所領の関係で、上尾宿や上尾村(上尾上村)とともに分村して成立した[6][13]。村高は『元禄郷帳』では204石余、『天保郷帳』では205石余であった。化政期の世帯数は55軒であった[6]。地区の形はかつての上尾宿の東側と南側に沿うように逆Lの字(或いは「F」の字を左右反転させて右に90度回転させたような形)をしていて上尾宿や上尾村との境は複雑に錯綜している上、これらの飛地も多数存在していたが[13]、芝川右岸側に突き出た区域は新たな町名に変更された。現在の愛宕三丁目の一部、および日の出の一・二丁目の一部や同三・四丁目の大半、および栄町の大半がこれに相当する[13]。地名は上尾町[注釈 1]の最も川下の場所という、地形によるものとみられている[13]。 安土桃山期の旗本西尾氏の陣屋が村内に存在していた[6][14]。陣屋が建立されていたとされる地には陣屋と称される小字もある[15]。1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米106.2石、陸稲70石、大麦160石、小麦145石、大豆60石、小豆25石、栗10石、蕎麦15石、菜種5石、胡麻4石、大角豆5石、甘藷24000貫、里芋7200貫、大和芋1200貫であった[16]。水利不便で旱害に強い甘藷栽培などの畑作中心であった。
はじめは知行は旗本松下彦兵衛氏[6]。以降は松下氏で変遷なし。なお、幕府領の新田があり、検地は1747年(延享4年)に実施[6]。
- 幕末の時点では足立郡上尾下村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領、および旗本松下鎌太郎の知行であった[17][注釈 2]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 旧幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1872年(明治5年)3月5日 - 大区小区制施行により第19区に属す[18][19][14]。なお、埼玉県では小区は置かれていない。
- 1874年(明治7年)2月 - 埼玉県区村役員職制により結成された第19区の吉野原村他二か村ヶ村組合[注釈 3]に属す。戸長は岸友右衛門(吉野原村)[18]。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1884年(明治17年)7月14日 - 連合戸長役場制により成立した上尾宿連合に属す。連合戸長役場は上尾宿に設置[20]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、上尾下村を含む区域をもって上尾町が成立、上尾町の大字上尾下となる[6]。
- 時期不明(明治40年頃) - 地内の天神社や二稲荷社や弁天社が上尾村の氷川社に合祀される[21]。
- 1955年(昭和30年)11月1日 - 町村合併促進法の施行に伴い、上尾町が平方町・原市町・大石村・上平村・大谷村と合併し[22]、新たな上尾町の大字となる。
- 1958年(昭和33年)7月15日 - 上尾町が市制施行し[22]、上尾市の大字となる。
- 1959年(昭和34年)1月1日 - 放光院の「松下豊前守房利の供養塔」が市の記念物(史跡)に指定される[23]。
- 1960年(昭和35年)9月1日 - 地内を通る県道が県道5号大宮川口線(現埼玉県道35号川口上尾線)に改称される[24]。
- 1962年(昭和37年)5月1日 - 地内に国道17号大宮バイパスが整備され、開通する[25]。
- 1963年(昭和38年)7月 - 地内(住所は上尾村656番地の1)に三井金属鉱業が操業を開始する[26]。
- 1967年(昭和42年)7月1日 - 住居表示に関する法律に基づき住居表示(第三次)が実施され[27]、上尾下の一部が栄町の一部、および日の出一丁目〜四丁目の一部となる[28][6]。また、上尾下の一部が愛宕一丁目〜三丁目に編入される[29][6]。
- 1974年(昭和49年)8月5日 - 放光院の「木造宝冠阿弥陀坐像」が市の有形文化財(彫刻)に指定される[23]。
- 1985年(昭和60年) - 芝川に架かる原市新道の「新橋」が架け換えられる[30]。
- 1986年(昭和61年) - 芝川に架かる「西長橋」が架け換えられる[30]。
- 1988年(昭和63年) - 芝川に架かる「日の出橋」(日ノ出橋)が架け換えられる[30]。
- 2008年(平成20年)11月5日 - 「陣屋の祭りばやし」が市の無形民俗文化財に指定される[23]。
存在していた小字
編集※ 登記簿上は今もなお存在する小字を含む。
世帯数と人口
編集2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
上尾下 | 1,160世帯 | 2,839人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[33]。
大字 | 番地 | 小学校 | 中学校 | 備考 |
---|---|---|---|---|
上尾下 | 622〜730、754、764〜787 | 上尾市立東町小学校 | 上尾市立上尾中学校 | 希望により原市小学校・原市中学校も可。(要 通学希望届) |
その他 |
交通
編集地区内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅は埼玉新都市交通ニューシャトル沼南駅であるが、大字上尾下字長橋沼南の地点よりおよそ1.2 km[11]離れている。
道路
編集- 埼玉県道323号上尾環状線
- 原市新道[34] - 水上公園北側の交差点からカーブを描きながら南東方向に向かい県道5号旧道に至る通り。原市では「上尾道」とも称された[34]。
バス
編集- 原市平塚循環
- 原市瓦葺線
- 地区内は「スポーツ総合センター」「陣屋公民館」「陣屋」「上平公園南口」バス停留所が設置されている。
地域
編集町内会
編集- 陣屋町内会[37]
祭事
編集施設
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “統計あげお 平成31年・令和元年版 第1章 土地・気象”. 上尾市役所. p. 2 (2020年6月1日). 2020年6月16日閲覧。
- ^ a b “町丁大字別人口表”. 上尾市 (2017年10月6日). 2017年10月6日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年3月7日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年3月7日閲覧。
- ^ “単位料金区域別市外局番等一覧表”. NTT東日本. 2020年6月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 68-69頁。
- ^ a b c d 都市計画図がご覧になれます。 - 上尾市(2014年9月5日).2020年6月14日閲覧。
- ^ “上尾市総合治水計画” (PDF). 上尾市. p. 61 (2019年12月). 2020年6月16日閲覧。
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 279-285頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 925頁。
- ^ a b 国土交通省地価公示・都道府県地価調査.2019年3月7日閲覧。
- ^ 東京市『東京市史稿. 市街篇第六附錄』東京市、1928年、82-83頁 。
- ^ a b c d e f 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 264-271頁。
- ^ a b 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 117-123頁。
- ^ “(上尾歴史散歩)原市を足掛かりに躍進した西尾吉次〜28年間の原市統治〜”. 上尾市役所. 2019年8月15日閲覧。
- ^ 『上尾百年史』 250-254頁。
- ^ 『上尾百年史』 23頁。
- ^ a b 『上尾市史 第七巻 通史編(下)』 10-17頁。
- ^ 『上尾百年史』 26-30頁。
- ^ 『上尾百年史』 98-116頁。
- ^ 『上尾百年史』 608頁。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1421頁。
- ^ a b c “上尾の指定・登録文化財一覧”. 上尾市教育委員会 (2016年4月1日). 2018年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月19日閲覧。
- ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 557-558頁。
- ^ 広報広聴課「上尾歴史散歩332 〜昭和30年代の上尾〜 国道17号バイパスの開通」(PDF)『広報あげお 平成30年11月号』第1016号、上尾市、2018年10月、44頁、2020年8月17日閲覧。
- ^ 『上尾百年史』 320-323頁。
- ^ 『上尾百年史』 233-235頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 927-928頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 925頁。
- ^ a b c “上尾市橋梁長寿命化修繕計画” (PDF). 上尾市. p. 16-17 (2013年3月). 2020年8月13日閲覧。
- ^ 新編武蔵風土記稿 上尾下村
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1389頁。
- ^ “市内小・中学校通学区一覧”. 上尾市 (2017年6月1日). 2019年3月7日閲覧。
- ^ a b 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 305-309頁。
- ^ 路線バス - 丸建自動車.2019年3月7日閲覧。
- ^ ぐるっとくん 上尾市内循環バスROAD案内マップ (PDF) - 上尾市役所.2019年3月7日閲覧。
- ^ “自治会・町内会・区会に加入しましょう”. 上尾市役所 (2021年3月15日). 2022年5月20日閲覧。
- ^ “平成29年度上尾市教育委員会の事務に関する点検評価報告書(平成28年度事業対象)” (PDF page=148). 上尾市教育委員会 (2017年11月). 2021年11月19日閲覧。
- ^ “指定緊急避難場所・指定避難所・福祉避難所”. 上尾市役所 (2022年2月14日). 2022年4月27日閲覧。
- ^ “上尾の寺社 25 放光院(上尾下)”. 上尾市教育委員会 (2014年3月1日). 2019年3月7日閲覧。
参考文献
編集- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市、1998年3月31日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第七巻 通史編(下)』上尾市、2001年3月30日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市、1997年3月31日。
- 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ146足立郡ノ12.上尾下村。NDLJP:763999/35。
関連項目
編集外部リンク
編集- あげおガイド アピマップ - 上尾市役所
- 迅速測図(明治期) - 歴史的農業環境閲覧システム(農業環境技術研究所)