ボックスカー
ボックスカー(Bockscar)は、第二次世界大戦時のアメリカ軍第509混成部隊に所属したB-29爆撃機の機名(機体番号44-27297)。ビクターナンバー 77[注釈 1][注釈 2]
爆撃投下作戦
編集攻撃当日ボックスカーは、「グレート・アーティスト」の機長チャールズ・スウィーニー少佐と副操縦士チャールズ・ドナルド・オルベリー大尉、フレッド・オリビ中尉によって操縦された。
作戦では第一目標は福岡県小倉市(現北九州市)であり、爆撃当日も原爆投下機であるボックスカーより先に離陸し、天候観測機を務めていた「エノラ・ゲイ」からの報告でも天候に問題はなく、爆撃可能との報告を受けていたことから、ボックスカーも小倉爆撃を目的として作戦を行っていた。しかし、小倉市到着後に爆撃経路進入に3回失敗、その間に天候も悪くなり、迎撃機も確認されたことから、目標を第二目標である長崎市に変更した。
ボックスカーはテニアン島を離陸する時から、爆弾倉に装備した予備タンクの燃料ポンプが故障しており、残燃料に余裕がなかったことから爆撃航程をやり直す余裕はなく、1回目の爆撃航程の際に雲の切れ間から目視できた地点(本来の投下予定地点より北西の地点)に原爆を投下した。
機体
編集製造モデル番号はB-29-36-MO、機体番号は44-27297。ビクターナンバー77。15機製造された原爆投下作戦用の機体(シルバープレート)の1機で、ネブラスカ州オマハにあったマーティンの工場で製造された。
機体愛称は「ボックス・カー(Bocks Car)」あるいは「ボックス・カー(Bock's Car)」ともしばしば呼ばれる。しかし、機体に描かれた実際の綴りは「Bockscar」だった。これは、通常作戦時の機長フレデリック・ボックにちなんだ「Bock's car(ボックの車)」と、「ボックスカー(boxcar、有蓋貨車)」をかけた駄洒落である。
1945年3月10日に陸軍航空軍に引き渡され、ユタ州ウェンドーバーにあった第509混成部隊に配備された。6月17日にテニアンに到着、8月1日に防諜の理由からビクターナンバーを7から77に変更した。第二次世界大戦終結後の11月、第509混成部隊がニューメキシコ州ロズウェルに帰還。1946年8月まで同部隊に配備された後、アリゾナ州デビスモンサン基地に保管された。その後、1961年9月26日にオハイオ州デイトンの国立アメリカ空軍博物館に運ばれ、ファットマンの複製とともに展示されている。
乗組員(通常時)
編集- 機長:フレデリック・ボック(Frederick C. Bock )[4]
- 副操縦士:ヒュー・C・ファーガソン(Hugh C. Ferguson)[5]
- 航法士:レオナルド・A・ゴドフリー(Leonard A. Godfrey)[6]
- 爆撃士:チャールズ・レヴィー(Charles Levy)[7]
- 航空機関士:ロデリック・F・アーノルド(Roderick F. Arnold)[9][10]
- 銃座担当士・副航空機関士:ラルフ・D・ビランジャー(Ralph D. Belanger)[11]
- レーダー担当士:ウィリアム・バーニー (William C. Barney)[12]
- 後部銃座担当士:ロバート・J・ストック(Robert J. Stock)[13]
乗組員(原爆投下時)
編集原爆投下時は「グレート・アーティスト」の乗員クルー C-15(Crew C-15)が乗り組んだ。
- 機長:チャールズ・スウィーニー(Charles W. Sweeney)
- 副操縦士:チャールズ・ドナルド・アルバリー(Charles Donald Albury)
- 副操縦士:フレッド・オリヴィ(Fred Olivi)
- 航法士:ジェームス・バンペルト(James Van Pelt)
- 爆撃士:レイモンド・カーミット・ビーハン(Raymond "Kermit" Beahan)
- 無線通信士:エイブ・スピッツアー(Abe Spitzer)
- 航空機関士:ジョン・D・クハレク(John D. Kuharek)
- 銃座担当士・副航空機関士:レイ・ギャラガー(Ray Gallagher)
- レーダー担当士:エドワード・バークレイ(Edward Buckley)
- 後部銃座担当士:アルベルト・デハート(Albert Dehart)
以下は同乗した軍人
- 海軍中佐:フレデリック・L・アッシュワース(Frederick L.Ashworth )
- 兵装助手:フィリップ・バーンズ(Philip Barnes)
- 放射線計測手:ジェイコブ・ビザー(Jacob Beser) - エノラ・ゲイにも搭乗し広島への原爆投下に参加した。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ A-1、A-2、A-3、A-4、A-5、B-6、B-7、B-8、B-9、B-10、C-11、C-12、C-13、C-14、C-15
- ^ 15機のB-29爆撃機。機体番号と機名。44-27298 フルハウス(Full House)、44-86347 ラッギン・ドラゴン(Laggin’ Dragon)、44-27299 ネクスト・オブジェクティブ(Next Objective)、44-27300 ストレンジ・カーゴ(Strange Cargo)、 44-27354 ビッグ・スティンク(Big Stink)、44-27303 ジャビット3世(Jabit III)、 44-27296 サム・パンプキンス(Some Punpkins)、 44-27302 トップ・シークレット(Top Secret)、 44-86292エノラ・ゲイ(Enola Gay)、 44-27304 アップ・アン・アトム(Up an’ Atom)、 44-27301 ストレートフラッシュ(Straight Flush)、 44-86346 ルーク・ザ・スポーク(Luke the Spook)、44-27297 ボックスカー(Bockscar)、 44-86291 ネセサリー・エヴィル(Necessary Evil)、44-27353 グレート・アーティスト(The Great Artiste)
- ^ Campbell 2005, p. 119.
- ^ the Atomic Heritage Foundation (2022年). “Frederick C. Bock” [フレデリック・ボック]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月29日閲覧。
- ^ the Atomic Heritage Foundation (2022年). “Hugh C. Ferguson” [ヒュー・C・ファーガソン]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月29日閲覧。
- ^ the Atomic Heritage Foundation (2022年). “Leonard A. Godfrey” [レオナルド・A・ゴドフリー]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月29日閲覧。
- ^ the Atomic Heritage Foundation (2022年). “Charles Levy” [チャールズ・レヴィー]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月29日閲覧。
- ^ the Atomic Heritage Foundation (2022年). “Ralph D. Curry” [ラルフ・D・カリー]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月29日閲覧。
- ^ the Atomic Heritage Foundation (2022年). “Roderick F. Arnold” [ロデリック・F・アーノルド]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月29日閲覧。
- ^ Find a Grave (2023年). “Roderick Franklin Arnold” [ロデリック・フランクリン・アーノルド]. https://ja.findagrave.com/. 2023年12月29日閲覧。
- ^ the Atomic Heritage Foundation (2022年). “Ralph D. Belanger” [ラルフ・D・ビランジャー]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月29日閲覧。
- ^ the Atomic Heritage Foundation (2022年). “William C. Barney” [ウィリアム・バーニー]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月29日閲覧。
- ^ the Atomic Heritage Foundation (2022年). “Robert J. Stock” [ロバート・J・ストック]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月29日閲覧。
参考文献
編集- Campbell, Richard H. (2005). The Silverplate Bombers: A History and Registry of the Enola Gay and Other B-29's Configured to Carry Atomic Bombs. Jefferson, North Carolina: McFarland & Company, Inc.. ISBN 978-0-7864-2139-8
- 奥住喜重、工藤洋三 訳『原爆投下の経緯 ウェンドーヴァーから広島・長崎まで 米軍資料』東方出版、1996年。ISBN 978-4885914980。
- 奥住喜重、工藤洋三、桂哲男 訳『米軍資料 原爆投下報告書 パンプキンと広島・長崎』東方出版、1993年。ISBN 978-4885913501。
- 奥住喜重、工藤洋三『ティニアン・ファイルは語る 原爆投下暗号電文集』奥住喜重(自費出版)、2002年。ISBN 978-4990031442。
関連項目
編集外部リンク
編集- Merle Miller, Abe Spitzer. "We Dropped the A-Bomb" New York: Thomas Y. Crowell Company, 1946.(英語)
- アメリカ空軍博物館サイトにあるB-29の解説(ボックスカーのコックピット画像が参照できる)[リンク切れ]
- 長崎原爆投下作戦時にボックスカーに搭乗した乗組員の写真
- Records of the Nagasaki Atomic Bombing
- アメリカの原爆関連サイト(乗組員の詳細など検索できる):The Atomic Heritage Foundation (AHF)