ブルッヘ

ベルギーの都市

ブルッヘオランダ語: Brugge, [ˈbrʏʝə] 発音例)(またはブリュージュフランス語: Bruges, [ˈbʁyːʒ] 発音例)、ブルージュ英語: Bruges, [ˈbruːʒ] 発音例))は、ベルギー北西部、フランデレン地域に位置するウェスト=フランデレン州の州都である。ベルギーの代表的な観光地の1つであり、2002年には、スペイン王国サラマンカと共に、欧州文化首都に選定された。

ブルッヘ
ブリュージュ

Brugge(オランダ語
Bruges(フランス語
ブルッヘ市内
ブルッヘ市内
ブルッヘ ブリュージュの市旗 ブルッヘ ブリュージュの市章
市旗 市章
位置
ウェスト=フランデレン州におけるブルッヘの位置の位置図
ウェスト=フランデレン州におけるブルッヘの位置
位置
ブルッヘの位置(ベルギー内)
ブルッヘ
ブルッヘ (ベルギー)
ブルッヘの位置(ブルッヘ内)
ブルッヘ
ブルッヘ (ブルッヘ)
地図
座標 : 北緯51度13分 東経3度14分 / 北緯51.217度 東経3.233度 / 51.217; 3.233
行政
ベルギーの旗 ベルギー
 地域 フランデレン地域の旗 フランデレン地域
 州 ウェスト=フランデレン州の旗 ウェスト=フランデレン州
 行政区 ブルッヘ行政区
 市 ブルッヘ
ブリュージュ
市長 レナート・ランドイト(社会党・別
地理
面積  
  市域 138.40 km2
人口
人口 (2014年1月1日現在)
  市域 117,639人
    人口密度   850人/km2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号 8000, 8200, 8310, 8380
市外局番 050
公式ウェブサイト : http://www.brugge.be/

概要

編集
 
ウェスト=フランデレン州庁舎

ズウィン湾とブルッヘの町を結ぶ運河だけでなく、街中にも運河が張り巡らされている。特に19世紀までは、運河の盛衰が、この町も盛衰にも影響してきた。なお、鉄道や自動車が登場して以降も、この運河は観光資源としての役割も果たしており、この町にとって運河の重要性は薄れていない。この町には中世からの縦横に張りめぐらされた運河が残されているため、ベネツィアに喩えられる場合が有り、ブルッヘは「北のヴェネツィア」とも呼ばれる。

名称

編集

日本の百科事典や地名事典では「ブルッヘ」ないし「ブリュッヘ」の表記が用いられる事例が多い。しかし、観光業などの分野では「ブルージュ」や「ブリュージュ」の表記も多く用いられる。ただし、本稿では、これ以降、記事名と同じ「ブルッヘ」を用いる。なお、地名の由来は「橋」であり、市内に張り巡らされた運河に架かる無数の橋に因んでいる。

地理

編集

近隣都市

編集

近隣の都市としては、約40 km 南東にヘント、90 km 南東にベルギーの首都のブリュッセル、85 km 東に21世紀初頭においてベルギーで最も人口の多い都市のアントウェルペンが位置している。なお、フランス共和国リールが約65 km 南に位置している。

歴史

編集

沿革

編集
  • 9世紀に初代フランドル伯ボードゥアン1世によって建てられた城塞が、この町の起源とされる。3代アルヌルフ1世の時代に、聖ドナティアン教会や聖サルヴァトール教会が建てられ、城塞も強化された。
  • 12世紀に大津波が、海から10 km以上も離れたブルッヘを襲った。その時に残された大きな溝に運河を作り、フランドル伯フィリップ・ダルザスのもとでズウィン湾とブルッヘを結ぶ水路が整備され、町中に水路を張り巡らせ、船での交易に便利な港町を作った。このためブルッヘは、北海に出る玄関口として格好な場所となった。
  • イギリス北欧と内陸を結ぶ交易に関連して、13世紀にはハンザ同盟の在外商館が置かれた。また1277年に、ジェノヴァ商人が大西洋沿岸を経由してズウィン湾にまで訪れるようになり、金融・貿易の一大拠点として繁栄した。裕福になった市民は、自分達の成功の象徴として、町の真ん中に鐘楼を建てた。キリスト教会が社会を支配していた時代において、時を告げる鐘楼は、教会や王の権威や権力が強い地域では、市民には建てられなかったが、ブルッヘの市民は自分達で市場の開始の時刻を告げる鐘楼を建てる事で、その自立を表した。それは資本主義社会の最初の拠点であるとされる。
  • 14世紀はフランス王の支配が過酷で、また王がフランドルを併合しようとしたため、フランス・フランドル戦争英語版が起きた。ブルッヘでもブリュージュの朝英語版と呼ばれる市民の反乱が起こり、金拍車の戦いが発生した。
  • 15世紀以降、運河やズウィン湾に土砂が堆積して大型船舶の航行に支障を来たすようになったため、運河港としても経済の中心地としてもその重要性を失って、衰退していった。しかし、19世紀に運河が再生され、美しい水の都として再び人々を魅了するようになり、中世の面影を残した町並みが現在まで残された。同世紀末には写真が挿入された小説『死都ブリュージュ』で脚光を浴びた。
  • 第一次世界大戦ではドイツに占領され、近隣のゼーブルッヘ地区やオステンドUボート基地が建設された。これらの町の港とは水路で繋がっていた事からイギリス軍の攻撃目標とされ、ゼーブルッヘ襲撃第1次オーステンデ襲撃が起きた。しかし、ブルッヘが直接攻撃される事は無かった。

経済

編集

産業

編集

ブルッヘは伝統的にボビンレースの製造地として知られる。また、造船業も盛んである。ブルッヘ歴史地区として世界遺産にも定められた街並みは多くの観光客を集めており、観光産業も発展してきた。

ブルッヘ・ゼーブルッヘ港

編集

旧市街から北海の海岸沿いに設けられたブルッヘ・ゼーブルッヘ港オランダ語版までは、15 km 程度である。この港は、ベルギーで2番目の大きさを誇る。ブルッヘまではボードワン運河で結ばれている。ゼーブルッヘオランダ語版は、海上のブルッヘ(Brugge aan zee[1])が由来である。イギリスや人口密度の高い工業都市に近く、周辺へのアクセスも容易な地域であるため、物流において重要な港である[2][3]。なお、2013年7月に、 日本の名古屋港と友好港提携を調印した。

交通

編集
 
オステンド・ブルージュ国際空港
 
ブルッヘ駅

空港

編集

最寄りの空港は、オーステンデ=ブルッヘ国際空港である。

鉄道

編集
ベルギー国鉄
50A号線
オーストカンプ駅 - ブルッヘ駅 - ファルエナーレ駅
51号線
ブルッヘ駅 - ブルッヘ=シント=ピーテルズ駅
66号線
ブルッヘ駅 - シント=ミッシェルズ駅

高速道路

編集

港湾

編集
  • ブルッヘ・ゼーブルッヘ港

写真集

編集

観光

編集

世界遺産

編集

ブルッヘは3種の世界遺産登録物件を抱える都市であり、世界遺産都市機構にも参加している。

スポーツ

編集

サッカー

編集
 
ヤン・ブレイデルスタディオン

ブルッヘではサッカーが最も人気のスポーツであり、サッカーリーグのジュピラー・プロ・リーグに所属する、クラブ・ブルッヘサークル・ブルッヘの2チームが存在する。クラブ・ブルッヘはベルギー国内屈指の強豪として知られており、これまでに何度もUEFAチャンピオンズリーグの本大会に出場してきた。

一方、サークル・ブルッヘはリーグ優勝3回を数えるものの、1929-30シーズンを最後に優勝からは遠ざかっている古豪クラブである。なお、元鹿島アントラーズ植田直通上田綺世らも所属した。

著名な出身者

編集

対外関係

編集

姉妹都市・提携都市

編集
国内
国外

姉妹港・提携港

編集
国外

脚注

編集

出典

編集
  1. ^ Degraer, Hugo (1968). Repertorium van de pers in West-Vlaanderen 1807-1914. Nauwelaerts, University of Michigan. p. 143. https://books.google.com/books?id=1f7iAAAAMAAJ 
  2. ^ Wickman, Stephen B. (1986), Belgium, a country study, Volume 1984, Headquarters, Dept. of the Army, p. 199, https://books.google.com/books?id=Ex8uAAAAYAAJ 
  3. ^ World fishing, Volume 40. IPC Industrial Press. p. 15. https://books.google.com/books?id=j6kmAQAAIAAJ 

参考文献

編集
  • 河原温著 『ブリュージュ フランドルの輝ける宝石』 中公新書、2006年

関連項目

編集

外部リンク

編集