ハシコトブキ
ハシコトブキ(1974年5月1日 - 不明)は日本中央競馬会に所属していた競走馬・種牡馬。
ハシコトブキ | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1974年5月1日 |
死没 | 不明(1991年11月20日用途変更) |
父 | シンザン |
母 | コウセキ |
母の父 | メイズイ |
生国 |
日本 北海道沙流郡門別町(現・日高町) |
生産者 | 優駿牧場 |
馬主 | シンザンクラブ |
調教師 | 内藤繁春(栗東) |
競走成績 | |
生涯成績 | 51戦9勝 |
獲得賞金 | 1億7239万4000円 |
勝ち鞍 |
朝日チャレンジカップ(1978年) 京都記念 (秋)(1978年) 愛知杯(1978年) |
経歴
編集3歳時、1976年11月27日中京競馬場の新馬戦でデビューし4着。その後、4歳から5歳の始めまで条件クラスで低迷していたが、5歳時、1978年4月16日の摩耶ステークスを勝ちオープン入り。天皇賞(春)、宝塚記念に出走するが、ともに6着と勝てなかった。秋シーズンはサファイヤステークスを勝利して再びオープン入りすると、朝日チャレンジカップ1着、京都大賞典2着、京都記念(秋)1着、天皇賞(秋)7着、愛知杯1着という成績を残した。1979年以降も競走生活を続けるが勝ち星を挙げることはできず、1980年9月21日の朝日チャレンジカップ10着を最後に引退した。
引退後は故郷・優駿牧場で種牡馬となるが、種牡馬として大きな期待をされた馬では無く、最多の1985年でも14頭の繁殖牝馬を集めるに過ぎなかった。1991年に種牡馬から用途変更となり、その後は不明。産駒は勝ち上がり率が高く、中央デビューした34頭のうち4割近い13頭が勝ち上がった。重賞馬も少ない産駒から2頭出ており、障害の強豪スガハラテンジンとイブキカネールがいた。
繁殖牝馬となった産駒はおらず、その血統は1代で断絶した。
競走成績
編集産駒
編集- スガハラテンジン(京都大障害(秋)、中京障害ステークス(春)2着)
- イブキカネール(きさらぎ賞、阪神3歳ステークス4着)
- マルイチテイオー(JRA4勝、2着11回で獲得賞金は1億を超える)
- サミツトホウライ(東海ジョッキーカップ)
血統表
編集ハシコトブキの血統(ボワルセル系(セントサイモン系) / Gainsborough5×5=6.25%、Blandford5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 シンザン 1961 鹿毛 |
父の父 *ヒンドスタンHindostan 1946 黒鹿毛 |
Bois Roussel | Vatout | |
Plucky Liege | ||||
Sonibai | Solario | |||
Udaipur | ||||
父の母 ハヤノボリ1949 栗毛 |
ハヤタケ | *セフト | ||
飛竜 | ||||
第五バツカナムビユーチー | *トウルヌソル | |||
バツカナムビユーチー | ||||
母 コウセキ 1966 栗毛 |
メイズイ 1960 栗毛 |
*ゲイタイム Gay Time |
Rockefella | |
Daring Miss | ||||
*チルウインド Chill Wind |
Wyndham | |||
Heart of Midlothian | ||||
母の母 コンゴーセキ1953 栗毛 |
*ヴィーノーピュロー Vino Puro |
Polemarch | ||
Vainilla | ||||
シラオキ | *プリメロPrimero | |||
第弐スターカツプ F-No.3-l |