ナイロン100%
東京都渋谷区の喫茶店 (1978-1986)
ナイロン100%(ナイロンひゃくパーセント)は、東京都渋谷区のセンター街に存在したニュー・ウェイヴ喫茶店。NYLON100%とも。
喫茶店ながら、店内でひんぱんにライブも行われた。また「ナイロン100%デー」(のちに「100%プロジェクトデー」)と題して、初代店長の中村直也(現プロデューサー)の企画で、「荻窪ロフト」や「新宿ロフト」等でライブ・イベントも行った。
桑原茂一プロデュースのクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」、大貫憲章がDJをつとめていたディスコ「新宿ツバキハウス」とともに、ニュー・ウェイヴの牙城として、のちに伝説的な存在となった。
概要
編集施設概要
編集- 店内は白く無機質な内装。プラスチックの椅子、大理石の床。通りから見える、青く光る店名のネオンサインが印象的であった。
- 店長にリクエストすれば、当時の最先端の曲をかけてくれた。なお、音源はすべてコンパクトカセットであった。カセットのインデックスは全てナイロン100%のオリジナルであった。
- 増戸店長時代はビデオ・スクリーンが用意され、映画「ブレードランナー」や「リキッド・スカイ」、またアメリカの音楽番組の映像等が映されていた(ただし、ビデオの音は流さず)。また、夜間のみの営業となり、酒類が出されるようになった。
- 元来、喫茶店であったため、ライブをしても客が4、50人入れば満員となった。
- 閉店の際はガレージセールが行われ、店で使用されていた食器、テーブル、椅子、什器、カセットテープ等が販売された。
ライブをした主なバンド
編集主な常連客
編集常連客がアルバイトとして店員を兼ねることも多かった。
関連項目
編集参考文献
編集- ばるぼら「NYLON 100% 渋谷系ポップカルチャーの源流」アスペクト 2008