林茂助
林 茂助(はやし もすけ、明治28年(1895年)4月29日 - 平成2年(1990年)10月4日)は、日本の化学者、理学博士、東京工業大学名誉教授、鶴岡工業高等専門学校初代校長。
略歴
編集- 1895年(明治28年) - 朝暘学校教師・林茂政(のち初代鶴岡市長)の子として鶴岡町(現・山形県鶴岡市)に生れる。
- 1913年(大正2年) - 荘内中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)卒業 (同窓生に相良守峯がいた。)
- 1920年(大正9年) - 東北帝国大学理学部化学工学科卒業[1][2]、のち三井鉱山入社[3]
- 1928年(昭和3年) - 東北帝国大学理学博士[4]、スイス・ドイツ・イギリス・アメリカ留学、東北大学講師など[1]
- 1930年(昭和5年) - 東京工業大学染料化学科助教授[5]、のち東京工業大学教授[1]
- 1956年(昭和31年)3月31日 - 東京工業大学 退官、同年有機合成化学協会会長[6]、東京工業大学名誉教授
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 鶴岡工業高等専門学校 初代校長 就任
- 1971年(昭和38年)3月31日 - 鶴岡工業高等専門学校 校長 退官
- 1990年(平成2年)10月4日 - 死去する。享年95。
栄典
編集著作物
編集著書
編集共著
編集親族
編集参考資料
編集- 『庄内人名辞典』 編纂・出版:庄内人名辞典刊行会
- 『官報』1956年04月02日 本紙 8776 叙任及辞令
- 『官報』1960年10月13日 本紙 10145 褒賞
- 『官報』1963年04月03日 本紙 10886 叙任及辞令
- 『官報』1971年04月02日 本紙 13283 人事異動
- 『官報』1971年11月05日 本紙 13463 叙位・叙勲
- 『官報』1990年11月01日 本紙 498 叙位・叙勲
脚注
編集- ^ a b c 岡田大士『東京工業大学における戦後大学改革に関する歴史的研究』 東京工業大学〈博士(学術) 甲第6209号〉、2005年。 NAID 500000351703 。
- ^ 沢井実「戦間期の大阪高等工業学校・大阪工業大学・大阪帝国大学工学部」『大阪大学経済学』第60巻第4号、大阪大学経済学会、2011年3月、1-22頁、doi:10.18910/51332、ISSN 04734548、NAID 120005575500。
- ^ 植村正治「近代日本における工学士の陸海軍・民間部門・省庁・教育機関間の移動 : 技術普及に関する統計観察(2)」『社会科学』第47巻第4号、同志社大学人文科学研究所、2018年2月、29-66頁、CRID 1390290699892230912、doi:10.14988/pa.2018.0000000016、ISSN 0419-6759。
- ^ 東北帝国大学 , 理学博士 , 1929-07-13
- ^ 大庭成一「シアニン色素とわが国の写真工業」『日本写真学会誌』第57巻第3号、日本写真学会、1994年、152-160頁、doi:10.11454/photogrst1964.57.152、ISSN 0369-5662、NAID 130004284110。
- ^ 歴代会長 有機合成化学協会
関連項目
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