ダラムサラ
ダラムサラ(ヒンディー語: धर्मशाला, dharmaśālā; チベット語: རྡ་རམ་ས་ལ་)はインドのヒマーチャル・プラデーシュ州の一角にあるチベット亡命社会の中心地。亡命チベット人の多数が暮らす「マックロード・ガンジ(McLeod Ganj)」地区と、チベット亡命政府の官庁がたちならぶ「カンチェン・キション(Gangchen Kyishong)」地区からなる。
ダラムサラ Dharamsala, धर्मशाला | |
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マクロード・ガンジー | |
北緯32度13分19秒 東経76度19分02秒 / 北緯32.2220度 東経76.3172度 | |
国 | インド |
州 | ヒマーチャル・プラデーシュ州 |
県 | カーングラー県 |
標高 | 1,457 m |
等時帯 | UTC+5:30 (IST) |
「ダラムサラ(རྡ་རམ་ས་ལ་, rda ram sa la)」は、「ダラムシャーラー」の訛った名称で、「ダサ(རྡ་ས་,rda sa)」という短縮形や、「リトル・ラサ」などの別称がある。
チベット亡命政府の駐日代表機関である「ダライラマ法王日本代表部事務所」は日本語版Webサイトで「ダラムサラ」というカナ表記を使用、チベット亡命社会の中心地としてこの町を知る人々を中心に、日本ではダラムサラという表記がひろく用いられている。
歴史
編集- 1848年ダラムシャーラーはイギリスの支配支配下に入る。
- マクロード・ガンジーの地はかつてイギリス人がピクニックを楽しんだ高地であった。
- 1959年、中華人民共和国の支配を逃れてチベット人多数がネパール、ブータン、インドなどに脱出。チベット難民のためにダラムシャーラーの一角が与えられ、難民の居留地「マックロード・ガンジ」や官庁街「カンチェン・キション」の建設が開始された。
チベットからダライ・ラマ14世が亡命して以降、今日に至るまでガンデンポタン(チベット亡命政府)の本拠地となっているマクロード・ガンジー(McLeod Ganj)や、カルマパが居住しているギュトー寺のあるシドゥバリ(Sidhbari)などの町が郊外にある。
マクロード・ガンジ
編集中国人民解放軍がチベットを軍事制圧したチベット動乱によって、1959年3月にラサを追われたダライラマ14世に対し、インド政府はダラムシャーラーの一角にあった避暑地「マックロード・ガンジ」の地を提供し、1960年に当地でチベット亡命政府が発足した。ダラムシャーラーはヒンドゥー教と仏教が盛んな土地で、19世紀にはチベット人による僧院の建立がはじまっていた。数万のチベット難民も当地に移住した。ダライ・ラマの宮殿はマクロード・ガンジ、カシャク(内閣)、議会をはじめ、チベット亡命政府の各種官庁はカンチェン・キションに築かれた。
マクロード・ガンジはダラムシャーラーの郊外の標高2,082mの山間にある。マクロード・ガンジ地区の人口はおよそ6万人。マクロード・ガンジという名はイギリス領インド帝国のパンジャーブ州の州準知事であったドナルド・マクロード(Donald Friell McLeod)にちなんでいる。
関連項目
編集外部リンク
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