スジゲンゴロウ

甲虫目ゲンゴロウ科の水生昆虫

スジゲンゴロウHydaticus satoi[8] または Prodaticus satoi[1])は、コウチュウ目ゲンゴロウ科ゲンゴロウ亜科シマゲンゴロウ属水生昆虫[7]

スジゲンゴロウ
Hydaticus satoi
スジゲンゴロウ(メス)
保全状況評価[1]
絶滅環境省レッドリスト
分類
: 動物界 Animalia
: 節足動物門 Arthropoda
: 昆虫綱 Insecta
: コウチュウ目(鞘翅目) Coleoptera[2]
亜目 : オサムシ亜目(食肉亜目) Adephaga[注 1][2]
上科 : オサムシ上科 Caraboidea
: ゲンゴロウ科 Dytiscidae[3]
亜科 : ゲンゴロウ亜科 Dytiscinae[4]
: シマゲンゴロウ族 Hydaticini[4]
: シマゲンゴロウ属[4][5][6] Hydaticus[4][5][6]
(または Prodaticus[1]
: スジゲンゴロウ H. satoi[7]
学名
Hydaticus satoi Wewalka, 1975[8][9]
シノニム

Prodaticus satoi[1]

和名
スジゲンゴロウ[1]

インド[6]から東南アジア[10]中国[1]などに生息している。かつては日本でも本州関東地方)以西の平野部で普通に見られる種だったが、高度経済成長に伴う生息環境破壊により日本国内からは急速に姿を消し、2012年の第4次環境省レッドリスト改訂で絶滅に選定されている[注 2][11][1]

形態

編集

体型はやや長めの卵型で体長12 - 14.5 mm[7]、もしくは12 - 15 mm[6]。背面はやや盛り上がり、大部分が光沢を伴う黒色だが、頭部前半・前胸背両側は黄色く[注 3]、一様に小さい点刻がある[7]。上翅両側には前胸背両側から連続して黄色 - 黄褐色の縦条(筋)2本があり、中央よりやや後方で2本が合流して後翅端付近まで伸びている[注 4][13]。腹面・脚は赤褐色[7]

本種が属するシマゲンゴロウ属 Hydaticus Leach, 1817 は世界中にて約100種(うち日本産は本種を含め8種)が記録されており[5]、同属のシマゲンゴロウ H. bowringii Clark, 1864 は前胸背のほぼ全体が黄色く(後縁は黒色)[12]、上翅基部に1対の黄褐色紋がある[6]。また屋久島以南の南西諸島に分布するオキナワスジゲンゴロウ H. vittatus (Fabricius, 1775) [6]は上翅両側の2縦条が中央前方[注 5]で合一する点で区別できる[1]

分類

編集

本種はITISでは Hydaticus satoi Wewalka, 1975 として掲載されており[8]、森・北山 (2002) [7]および中島・林・石田・北野 (2020) でもそれぞれ Hydaticus 属として掲載されているが[6]、2009年には遺伝子の解析結果から Hydaticus 属を含むシマゲンゴロウ族 Hydaticini を Hydaticus 属と Prodaticus 属の2属へ再編成する学説が提唱されている[14]。一方でNilsson & Hájek (2020) では Hydaticini 族を Hydaticus 属のみとし、Prodaticus は亜属とされている[15]

環境省では本種を絶滅種として掲載した第4次レッドリスト(2012年)[11]より本種の学名を Hydaticus satoi から Prodaticus satoi に変更しており[16]、2020年版レッドリストでも本種を Prodaticus satoi [17]、同属のオキナワスジゲンゴロウ(絶滅危惧II類)およびシマゲンゴロウ(準絶滅危惧)に関してもそれぞれ Prodaticus vittatusProdaticus bowringii として掲載している[18]

分布

編集

南方系の種で、日本では主に関東地方以西の太平洋側に生息していた[1]。国内では本州(関東以西)[注 6]四国九州南西諸島トカラ列島中之島)で記録されていた[6]。基準標本の産地は雲仙岳[9]

日本国外では朝鮮半島中国台湾[1]東南アジア[注 7]インド北東部に分布する[6]。また別亜種 H. satoi dhofarensis Pederzani, 2003[21]アラビア半島オマーンから新たに記載された[22]

生態

編集

平野部 - 丘陵地の池沼湿地水田休耕田に生息していた[1]。生息に適した水域は比較的浅く[1]、1年じゅう水が涸れず、水生植物が豊富で大型魚類・アメリカザリガニがいない環境とされる[24]

生態は解明が不十分だが[1]成虫幼虫とも小動物を捕食する[24]。成虫は水中で生活する肉食性昆虫で、灯火にも飛来し1年じゅう見られる[1]。野生個体は5月上旬ごろから交尾を行うが、9月上旬にも交尾した記録がある[25]。交尾時間は約1分間で、オス成虫はメス成虫の背中に前脚吸盤で貼り付いて交尾する[26]。交尾後、メス成虫は6月中旬 - 7月中旬にかけて水生植物・固形物の表面[注 8]産卵する[27]。メス成虫1頭が1シーズンに産卵する数は12 - 17個と考えられているが、これは1シーズンにメス1頭が約50個産卵するとされる同属のオオイチモンジシマゲンゴロウ Hydaticus pacificus conspersus Regimbart, 1899 に比べてかなり少ない[28]

卵は5 - 6日程度で孵化する[28]。幼虫も成虫と同じく水中で生活する肉食性昆虫で[1]ユスリカの幼虫(アカムシ)やカゲロウカワゲラの幼虫、ワラジムシ目ミズムシなど、成長に応じて自身の体長に見合った水生小動物を捕食する[28]。幼虫は2回脱皮し[注 9][29]、終齢幼虫(3齢幼虫)は夏季に上陸[注 10]して岸辺の土中で蛹化する[1]は土中の蛹室内で羽化し[注 11]、産卵 - 新成虫の蛹室脱出までに要する期間は約35 - 36日である[29]

日本での保全状況

編集

かつては平野部で普通に見られる種だったとされ、1950年代以前に採集された標本が多数残っているが[注 12][6]高度経済成長期の生息環境破壊で姿を消し、1970年代以降は明確な記録がない[注 13][1]環境省レッドリストでは2000年・2007年の改訂にて絶滅危惧I類(CR+EN)に選定され、2012年の改訂(第4次レッドリスト)[注 14]絶滅種として選定された[注 2][11][1]

急激な絶滅の要因には不明点が多いが[6]、平野部に偏って分布する種だったため、生息地の消失・改変(宅地開発・水田の圃場整備・農法変化など)や1960年代の強力な農薬の大量散布、街灯設置などによる影響を強く受けたことが考えられる[1]。特に農薬に対する感受性が非常に高かった可能性[注 15]メタ個体群構造の崩壊が急激な絶滅の要因として指摘されている[1]

石川県ふれあい昆虫館石川県白山市)は海外産の本種個体を用いた人工繁殖に成功し[注 16]、2017年11月11日から日本国内初となる生体展示を実施している[37]

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 森・北山 (2002) は「ゲンゴロウ類 Dytiscoidea は鞘翅目・食肉亜目(オサムシ亜目)水生食肉亜目に属する」と述べている[2]
  2. ^ a b 2020年現在、環境省レッドリスト(昆虫類)にて絶滅種に選定されている種は本種とカドタメクラチビゴミムシ Ishikawatrechus intermedius ・コゾノメクラチビゴミムシ Rakantrechus elegans ・キイロネクイハムシ Macroplea japana (いずれもコウチュウ目)の計4種である[17]
  3. ^ 前胸背両側の黄色部分は本種では幅広いが、オキナワスジゲンゴロウでは狭い[12]
  4. ^ 頭部を上にして背側から見ると縦条はY字状になっている[6]
  5. ^ 基部1/3近く[12]
  6. ^ 森・北山 (2002) によれば検証できた標本は愛知県三重県岐阜県京都府山口県愛媛県高知県沖の島福岡県鹿児島県・トカラ列島中之島産で[7]、文献の記録として群馬県静岡県滋賀県和歌山県兵庫県淡路島)・岡山県広島県島根県佐賀県大分県・屋久島(鹿児島県)・対馬長崎県)などがあるが[19]、いずれも古い記録で、同書初版発行(1993年)以降は全く新たな記録・情報がない[20]
  7. ^ フィリピンボルネオミャンマーブータンスリランカ[10]
  8. ^ シャジクモの上に産卵した事例が知られているほか、飼育下ではホテイアオイの表面・水槽の表面にも産卵している[27]
  9. ^ 1齢幼虫の期間は平均4.5日、2齢幼虫は平均5.3日、3齢幼虫は7 - 9日[29]
  10. ^ 孵化 - 上陸までの平均日数は約18日[29]
  11. ^ 上陸から約12日後に羽化する[29]
  12. ^ 愛知県では現在の名古屋市港区土古守山区)でも記録されていた[30]。また愛媛県松山市でも1950年代前半に多数記録されていたが、1957年を最後に記録が途絶えている[31]
  13. ^ 1959年8月24日に静岡県伊東市で灯火に飛来した例が報告されている[32]。1973年に三重県美杉村で、1976年に兵庫県豊岡市で採集記録がある[33]
  14. ^ 第4次レッドリストは2012年8月28日に公表された[34]
  15. ^ 渡部・加藤 (2017) は「本種の幼虫は他のゲンゴロウ類に比べ特に水質悪化・餌の添加物に弱かったため、同属他種に比べ早い速度で激減した可能性がある」と指摘している[35]
  16. ^ 同館飼育員の渡部晃平がラオス Luang Phabang (ルアンパバーン郡)産の成虫2頭(雌雄1ペア)を入手して2016年12月8日から同館飼育室(室温28℃)内で飼育を開始した[36]。産卵用植物にはホテイアオイを使用し、孵化した幼虫にはミズムシ・冷凍赤虫・カゲロウ類およびカワゲラ類の幼虫を餌として与えた[36]

出典

編集
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 西原 & 丸山 2015.
  2. ^ a b c d 森 & 北山 2002, p. 33.
  3. ^ 森 & 北山 2002, p. 53.
  4. ^ a b c d 森 & 北山 2002, p. 138.
  5. ^ a b c 森 & 北山 2002, p. 140.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 中島 et al. 2020, p. 93.
  7. ^ a b c d e f g 森 & 北山 2002, p. 143.
  8. ^ a b c "Hydaticus satoi Wewalka, 1975" (英語). Integrated Taxonomic Information System. 2020年4月21日閲覧
  9. ^ a b Nilsson & Hájek 2020, p. 97.
  10. ^ a b 芦田久 (2015年). “京都府レッドデータブック2015 スジゲンゴロウ”. 京都府 公式ウェブサイト. 京都府. 2020年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月21日閲覧。 - 2015年4月1日発行の『京都府レッドデータブック2015』(京都府自然環境保全課 / 原著は2002年6月発刊)より。
  11. ^ a b c 環境省 & 昆虫類 2012, p. 1.
  12. ^ a b c 森 & 北山 2002, p. 141.
  13. ^ 森 & 北山 2002, p. 11.
  14. ^ Kelly B. Miller, Johannes Bergsten, Michael F. Whiting (2009-10-16). “Phylogeny and classification of the tribe Hydaticini (Coleoptera: Dytiscidae): partition choice for Bayesian analysis with multiple nuclear and mitochondrial protein‐coding genes” (英語). Zoologica Scripta (Wiley-Blackwell). doi:10.1111/j.1463-6409.2009.00393.x. https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.1463-6409.2009.00393.x 2020年4月22日閲覧。. 
  15. ^ Nilsson & Hájek 2020, pp. 91–92.
  16. ^ 環境省 & 新旧対照表 2012, p. 1.
  17. ^ a b 環境省 2020, p. 18.
  18. ^ 環境省 2020, pp. 23, 28.
  19. ^ 森 & 北山 2002, pp. 143–144.
  20. ^ 森 & 北山 2002, p. 144.
  21. ^ "Hydaticus satoi dhofarensis Pederzani, 2003" (英語). Integrated Taxonomic Information System. 2020年4月21日閲覧
  22. ^ Fernando Pederza (2003年6月〈giugno 2003〉). “Hydaticus satoi dhofarensis n. ssp. from Oman (Insecta Coleoptera Dytiscidae).” (イタリア語) (PDF). Quoderno di Srudi e Notizie di Storio Nqturole dello Romogno (Social Science Research Network) 17: 17-24. ISSN 1123-6787. オリジナルの2020年4月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200421100507/http://www.ssnr.it/17s-3.pdf 2020年4月21日閲覧。. 
  23. ^ 「岐阜県の絶滅のおそれのある野生生物(動物編)改訂版−岐阜県レッドデータブック(動物編)改訂版−」を作成しました。”. 岐阜県 公式ウェブサイト. 岐阜県 (2010年8月). 2020年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月21日閲覧。
  24. ^ a b 高井泰. “スジゲンゴロウ”. 岐阜県 公式ウェブサイト. 岐阜県. 2020年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月21日閲覧。 - 岐阜県の絶滅のおそれのある野生生物(動物編)改訂版−岐阜県レッドリスト(2009年3月31日作成)に基づき作成されたレッドデータブック(2010年8月)より[23]
  25. ^ 渡部 & 加藤 2017, p. 38.
  26. ^ 渡部 & 加藤 2017, p. 37.
  27. ^ a b 渡部 & 加藤 2017, pp. 38–39.
  28. ^ a b c 渡部 & 加藤 2017, p. 39.
  29. ^ a b c d e 渡部 & 加藤 2017, p. 40.
  30. ^ 長谷川ほか 2020.
  31. ^ 渡部晃平 (2012年). “スジゲンゴロウ レッドデータブックまつやま2012”. 松山市 公式ウェブサイト. 松山市. 2020年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月21日閲覧。 - 『レッドデータブックまつやま2012 : 松山市における絶滅のおそれのある野生生物』(編:まつやま自然環境調査会、出版:松山市環境部。2013年2月刊行)より。
  32. ^ 秋山黄洋「静岡県伊東市におけるスジゲンゴロウの記録」(PDF)『甲虫ニュース』第81号、日本甲虫学会、1988年5月、7頁、ISSN 0910-8785オリジナルの2020年10月22日時点におけるアーカイブ、2020年10月22日閲覧。「1♀〔写真〕, 静岡県伊東市内, 24. viii. 1959, 中村俊彦採集, 著者保管」 
  33. ^ 『月刊むし』むし社、第642号、2024年8月1日、44-45頁、柳丈陽・永幡嘉之・秋田勝己「白水隆博士による福岡のスジゲンゴロウなどについての覚書」
  34. ^ 環境省 2012.
  35. ^ 渡部 & 加藤 2017, pp. 40–41.
  36. ^ a b 渡部 & 加藤 2017, p. 36.
  37. ^ 当館初!国内絶滅種「スジゲンゴロウ」の生体展示”. 石川県ふれあい昆虫館 公式ウェブサイト. 石川県ふれあい昆虫館 (2017年11月13日). 2020年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月21日閲覧。

参考文献

編集

関連項目

編集