あべ静江
あべ 静江(あべ しずえ、本名:阿部 静江(読み同じ)[1]、1951年〈昭和26年〉11月28日[2] - )は、日本の歌手、女優。三重県松阪市中町出身[3]。血液型はA型。高田高校卒業、東海学園女子短期大学(後年の東海学園大学短期大学部)中退。独身。
あべ 静江 | |
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出生名 | 阿部 静江(あべ しずえ) |
生誕 | 1951年11月28日(73歳) |
出身地 | 日本・三重県松阪市中町 |
学歴 | 東海学園女子短期大学 |
ジャンル | 歌謡曲 |
職業 | 歌手、女優 |
活動期間 | 1973年 - |
レーベル |
キャニオン・レコード CBSソニー |
一般社団法人日本歌手協会理事。歌手デビュー時の所属事務所はシンコーミュージック(現・シンコーミュージック・エンタテイメント)[4]。現在の所属事務所はバルシカ。業務提携はフジプランニング。ニックネームは「しーちゃん」[1]。身長158cm。B82cm、W56cm、H85cm(1974年1月)[5]。
略歴
編集小学生時代から子役として名古屋のテレビ局でドラマに出演していたが、中学時代にいったん芸能界から退く[6]。三重県立松阪工業高等学校定時制に進学するが、8ヶ月で高田高校に編入学した[6]。
高校卒業後、東海学園女子短期大学に進学すると在学中に東海ラジオの人気DJとなり、周りからの説得を受けて歌手デビューが決まる。
1973年5月25日、“フリージアの香り”のキャッチフレーズで、キャニオン・レコードから『コーヒーショップで』で歌手デビュー。同デビュー曲はオリコンでベスト10内にランクされ、自身最大のヒット曲となった。同年12月31日放映の第15回日本レコード大賞では同曲で新人賞を受賞した。
1973年9月25日の『みずいろの手紙』も続けてヒット。翌1974年12月31日には、当曲で『第25回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。シングル16枚、アルバム8枚を発表した。
映画『トラック野郎・爆走一番星』、テレビドラマ『真夜中のあいさつ』や『青春ド真中!』でのマドンナ(ヒロイン)役や[7]、『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』では千葉真一の恋人役を演じるなど女優としても活躍した。ギャグ漫画『がきデカ』の主要キャスト「あべ先生」こと「あべ美智子」の役名・キャラクター設定はあべがモデルである。
2005年から一般社団法人日本歌手協会の理事を務めている[8]。約200組の歌手が参加する歌謡祭の運営や現在(2022年)はコロナ禍における音楽文化の新事業について文化庁との話合いなどの活動をしている。
2007年8月には、NHK総合テレビ放映の『思い出のメロディー』で、同年8月1日に死去した作詞家・阿久悠を追悼し『みずいろの手紙』を歌唱。ほか2010年4月20日には、同じくNHKテレビの『NHK歌謡コンサート』でデビュー曲の『コーヒーショップで』を披露するなど、懐メロの歌番組にも度々出演している。
2010年3月にAmebaでブログデビュー、同年6月にはTwitterデビューするなど、以降インターネット上でも積極的に活動している[1]。
現在では映画、舞台、テレビ、CM等で活躍中。また、あべの出身地である三重県松阪市での地域イベントにも積極的に参加している。
かなりのゲームフリークで、Nintendo Switchを始めとしたゲーム機やその関連の充電器を常に持ち歩いている。なかでもRPGを好み、オンラインゲームの『ドラゴンクエストX』にも夢中になった。また、理系脳であることからスマートフォン、タブレット、ガラケーといったデバイスを使いこなし、TwitterやInstagramなどのSNSも積極的に活用している[9]。
近年は「夢スター歌謡祭 春組対秋組歌合戦」で全国各地を回っており、江木俊夫やおりも政夫らと共に司会を務めている。
人物
編集親族
編集母方の先祖(6代前)は津藩郷士の松本安親[12]、高祖父は伊勢新聞創業者の松本宗一[13][14]、曽祖父は衆議院議員の松本宗吾[15]、曾祖伯父は衆議院議員の松本恒之助。 伊勢新聞の仕事を手伝っていた祖父は戦中に上海に渡り事業で成功したが、敗戦により無一文で日本に戻り、直後から引揚者の支援活動をした[4]。
父親はラジオ三重の専属ミュージシャン[16]。ヴァイオリン、ピアノ、ギター、アコーディオンなどを演奏出来た。母親は前々身のラジオ三重時代から親しまれていた東海ラジオの専属歌手[16]、松本ひさ[17]。第4回NHKのど自慢大会で優勝してデビューする筈だったが静江を身篭ったので断念した。両親に結婚を反対されて駆け落ちし[18]、1951年11月28日に伊勢赤十字病院であべが生まれた[4]。
子供時代
編集当時の実家は中町商店街(現よいほモール)の阿部小間物店[注釈 1]。12歳年下の弟がいる[4]。
祖父の影響で[注釈 2]、小さい頃から正義感が強く自分の意思をはっきりと持つタイプだった[4]。幼い頃から少女歌手として、両親に連れられて慰問先でよく歌を歌っていた。また、小学生になると自分で子役になることを決めて活動を始めた。
中学卒業後は「社会勉強になる」という祖父の薦めで定時制工業高校に進学し、学校は楽しかったが生活パターンや同級生の学ぶ姿勢に感化された[注釈 3]ことから、8ヶ月で高田高校に編入学した[6][4]。
高田高校では、校内弁論大会で生徒の覇気のなさを訴えたのをきっかけに弁論部に誘われ、その活動に熱中した[6]。他校に出向いた弁論大会では、ヤジに応酬して制限時間を過ぎても話し続けたために、力づくで演壇からおろされたこともあったという[6]。4年制大学志望だったが、父親に反対されて東海学園女子短期大学へ進学[16]。
歌手デビューまで
編集短大1年生の頃に将来芸能界で活動することを考えて、名古屋のテレビタレントセンター(通称・TTC)の試験に合格。TTCで1年間話し方、パントマイム、狂言[注釈 4]などを一流の講師陣から学んだ。本人は「この1年間は私の財産になりました」としている[4]。短大在学中に東海ラジオとエフエム愛知の2社でDJを務めた[4]。人気DJとなり、仕事の楽しさを知ったことから短大2年生の夏に大学を中退[4]。
当時の東海ラジオの制作部長が父親のミュージシャン仲間で、歌手もしていたあべの少女時代を知っていたこともあって歌手デビューの話が持ち上がる[16]。当時担当した番組『ヤングランド』のディレクターが、あべのためにバンド「欲求不満フォークソング・ボーイズ」[注釈 5]に曲作りを依頼[4]。
1972年の年末の番組で同バンドの生演奏をバックにあべの歌が放送され、後日その歌唱テープが業界人たちにも知られることとなった[4]。あべ自身、その時は歌手活動に興味が無かったということだったが、「東海ラジオでの2年間の契約が終わったら辞めていい」と説得されたことで、その後デビューを決めることになる[16]。
デビュー時
編集デビューと同時に上京し、白金(港区)のマンションで一人暮らしを始めた。ただし、その後も名古屋のラジオ番組に出演するため東京と名古屋を往復し、歌番組にも出演して忙しく、一人暮らしを満喫できなかった[4]。
当時所属したシンコーミュージックには、チューリップや甲斐バンドなどがいた。同事務所では、一年に一度所属タレントやスタッフ皆で海外への慰安旅行が恒例だった。慰安旅行で特に印象的だったのは、20代半ばで訪れたエジプトでピラミッドを見学したこと[4]。また若い頃、チューリップのリーダー・財津和夫との交際が噂されたが、これは慰安旅行時の様子を彼の女性ファンたちが誤解したのが原因[注釈 6]。
ディスコグラフィ
編集シングル
編集# | 発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
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キャニオン・レコード | |||||||
1 | 1973年 5月25日 |
A面 | コーヒーショップで | 阿久悠 | 三木たかし | 馬飼野俊一 | A-166 |
B面 | ひまわり | ||||||
2 | 1973年 9月25日 |
A面 | みずいろの手紙 | 三木たかし | A-184 | ||
B面 | 恋人たちがいる舗道 | ||||||
3 | 1974年 1月25日 |
A面 | 突然の愛 | A-199 | |||
B面 | もの想い | 馬飼野俊一 | |||||
4 | 1974年 5月10日 |
A面 | 透きとおった哀しみ | 山上路夫 | A-216 | ||
B面 | 愛の記念日 | ||||||
5 | 1974年 8月25日 |
A面 | 秋日和 | 阿久悠 | 三木たかし | ボブ佐久間 | A-229 |
B面 | 公園の昼下り | ||||||
6 | 1974年 12月10日 |
A面 | 生まれたままの姿で | 及川恒平 | 大野克夫 | 瀬尾一三 | A-242 |
B面 | モジリアニの少女 | 喜多条忠 | すぎやまこういち | ||||
7 | 1975年 6月10日 |
A面 | 雨をみていた人 | さいとう大三 | 森田公一 | あかのたちお | A-261 |
B面 | 朝もやの駅 | ||||||
8 | 1975年 9月25日 |
A面 | 私は小鳥 | 財津和夫 | A-282 | ||
B面 | さようなら二人の昨日 こんにちは私の明日 |
財津和夫 | 玉木宏樹 | ||||
9 | 1976年 3月25日 |
A面 | 心の音 | 林哲司 | A-300 | ||
B面 | 白い雪 そんな雪が私は好き | ||||||
10 | 1976年 7月25日 |
A面 | いたずら書き | 財津和夫 | C-10 | ||
B面 | TOO HAPPY | 野走英美 | 長谷川きよし | 乾裕樹 | |||
11 | 1977年 2月25日 |
A面 | ゆらめき | 中里綴 | 杉田二郎 | 青木望 | C-39 |
B面 | まぶしすぎる春 | ||||||
12 | 1977年 7月25日 |
A面 | 長距離電話 | 藤公之介 | 佐藤健 | 林哲司 | C-58 |
B面 | 別れしな | ||||||
CBS・ソニー | |||||||
13 | 1978年 10月21日 |
A面 | 椿姫 | ちあき哲也 | 川口真 | 06SH-407 | |
B面 | さよならの交差点 | 竜真知子 | |||||
14 | 1979年 5月21日 |
A面 | 再会の雨 | 千家和也 | 06SH-525 | ||
B面 | 扉 | ||||||
15 | 1979年 7月21日 |
A面 | ヘイ! セニョリータ | 島エリナ | Gerd Thumser | 川口真 | 06SH-574 |
B面 | ロンドンへの想い | 竜真知子 | 川口真 | 船山基紀 | |||
キングレコード | |||||||
16 | 1993年 11月26日 |
01 | 危険なクラス会 | 荒木とよひさ | 杉本真人 | 桜庭伸幸 | KIDS-166 |
02 | 夜明けはまだ | ||||||
自民党 | |||||||
17 | 2010年 10月13日 |
01 | いちばん、好きだから | ecoyuri | 鍵一大 | PPVA-8178 |
アルバム
編集オリジナル・アルバム
編集- 2. 「突然の愛」(1974年3月25日/C-3038)
- SIDE A
- 突然の愛
- 作詞:阿久悠/作曲・編曲:三木たかし
- 白鳥
- 作詞:阿久悠/作曲・編曲:馬飼野俊一
- ふたりの週末
- 作詞:阿久悠/作曲・編曲:三木たかし
- センチメンタルな旅
- 作詞:阿久悠/作曲:三木たかし/編曲:馬飼野俊一
- ふたりでお茶を
- 作詞:阿久悠/作曲:三木たかし/編曲:馬飼野俊一
- もの想い
- 作詞:阿久悠/作曲・編曲:馬飼野俊一
- SIDE B
- 3. 「透きとおった哀しみ」(1974年6月25日/C-3044)
- 4. 「愛のかたち」(1974年12月10日/C-3051)[22]
- SIDE A
- 愛する人のそばで
- 窓
- 作詞:さいとう大三/作曲・編曲:馬飼野康二
- モジリアニの少女
- 作詞:喜多条忠/作曲・編曲:すぎやまこういち
- さよならの街で
- 作詞:喜多条忠/作曲・編曲:すぎやまこういち
- 遅い夜
- 新しい恋の出会い
- 作詞:安井かずみ/作曲:森田公一/編曲:高田弘
- SIDE B
- ※全編曲:乾裕樹
- SIDE A
- TOO HAPPY
- 作詞:野走英美/作曲:長谷川きよし
- 交叉点
- 作詞・作曲:財津和夫
- 友達
- 作詞:野走英美/作曲:長谷川きよし
- いたずら書き
- 作詞・作曲:財津和夫
- いつも青空の下で
- 作詞:野走英美/作曲:長谷川きよし
- SIDE B
- 一人芝居
- 作詞・作曲:財津和夫
- 人ちがい
- 作詞:野走英美/作曲:長谷川きよし
- 今あなたは
- 作詞:津島玲/作曲:長谷川きよし
- 私の小さな部屋
- 作詞・作曲:財津和夫
- 私を育てた愛
- 作詞・作曲:財津和夫
- 以降は、CD版にのみ収録されたボーナストラック。
- コーヒーショップで
- 作詞:阿久悠/作曲:三木たかし/編曲:馬飼野俊一
- みずいろの手紙
- 作詞:阿久悠/作曲・編曲:三木たかし
- 突然の愛
- 作詞:阿久悠/作曲・編曲:三木たかし
- 透きとおった哀しみ
- 作詞:山上路夫/作曲・編曲:馬飼野俊一
- 秋日和
- 作詞:阿久悠/作曲:三木たかし/編曲:ボブ佐久間
- 生まれたままの姿で
- 作詞:及川恒平/作曲:大野克夫/編曲:瀬尾一三
- 雨をみていた人
- 作詞:さいとう大三/作曲:森田公一/編曲:あかのたちお
- 私は小鳥
- 作詞・作曲・編曲:財津和夫
- 心の音
- 作詞・作曲:財津和夫/編曲:林哲司
- ゆらめき
- 長距離電話
- いたずら書き(Single Version)
- 作詞・作曲・編曲:財津和夫
- 6. 「いちばん、好きだから」(2013年3月20日/ODST-5005) ※ミニアルバム
- いちばん、好きだから(2013バージョン)
- この街で
- みずいろの手紙(2013ニュー・ボーカル・バージョン)
- コーヒーショップで(2013ニュー・ボーカル・バージョン)
ベスト・アルバム
編集- あべ静江 ゴールデン・ベスト24(1974年10月/C-8003)
- あべ静江 DISCOGRAPHY(1976年11月/AF-6003)
- プレイバック・シリーズ あべ静江(1987年11月21日/D28P-6169)
- Myこれ!クション あべ静江・BEST(2001年11月21日/PCCA-01607)
- あべ静江 SINGLEコンプリート(2007年7月18日/PCCA-02497)
- Myこれ!Lite あべ静江(2010年4月21日/PCCS-00105)
- ザ・プレミアムベスト あべ静江(2012年11月21日/PCCA-03751)
- あべ静江 アンソロジー〜Memories for 40years〜(2014年5月21日/PCCA-04019)
ライブ・アルバム
編集出演
編集映画
編集- トラック野郎・爆走一番星 (1975年、東映) - 高見沢瑛子(マドンナ役)
- 思えば遠くへ来たもんだ (1980年、松竹) - 高橋百合子
- 冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE- (1981年、東映) - 立花みどり
- ロックよ、静かに流れよ (1988年、東宝) - 片岡沙代
- この胸のときめきを (1988年、東映) - 時枝志津子
- 極道渡世の素敵な面々 (1988年、東映) - 有賀弥栄子
- 熊本物語 第3話(2002年) - おんな国衆一揆
テレビドラマ
編集- 真夜中のあいさつ(1974年、TBS)(マドンナ役)
- いごっそう段六(1976年、NHK)
- 惜春の歌(1976年、中部日本放送「東芝日曜劇場」)
- 泣かせるあいつ 第15話(1976年、日本テレビ)
- 三男三女婿一匹 第1シリーズ(1976年、TBS) - 塩谷弓子
- 俺たちの朝 第27話「うなぎと未婚の母と愛してます」(1976年、日本テレビ・東宝)
- 青春ド真中!(1978年、日本テレビ) - 田坂萌子(マドンナ役)
- 春の海鳴り(1979年、毎日放送) - 千鶴子(主演)
- 雪姫隠密道中記 第2話「妖怪!!鬼面の女 -佐賀-」(1980年、毎日放送) - 志保
- 若き日の北條早雲(1980年、テレビ朝日「ゴールデン劇場」) - 夢子
- 土曜ワイド劇場(テレビ朝日)
- 幽霊に抱かれた女 死者からの贈り物(1980年)(主演)
- 変装探偵II(1982年)
- 第三の女(1982年) - 久米悠子
- 三毛猫ホームズの駈落ち(1984年) - 三浦雪子
- 養子探偵団(1986年)
- 京都花の宿殺人事件(1988年)
- 運がよければ 厄年夫婦は天中殺(1980年、読売テレビ)
- ただいま放課後 第13話(1980年、フジテレビ)
- ザ・ハングマン 燃える事件簿 第1~13話(1980年、朝日放送) - 浅見令子(ベニー)
- 俺はおまわり君(1981年、日本テレビ) - 水野律子
- ぼくらの時代(1981年、TBS)
- 新・運がよければ!(1981年、読売テレビ)
- 俺はご先祖さま(1981年、日本テレビ) - 奥寺ゆり子
- 天下御免の頑固おやじ 大久保彦左衛門(1982年、TBS) - おせつ
- 竜馬がゆく(萬屋錦之介版)(1982年、テレビ東京) - お田鶴
- 遠山の金さん(1982年 - 1985年、テレビ朝日) - お志津 ※高橋英樹版
- 忍者狩り〜甲賀隠密の邪悪な陰謀を斬る (1982年、フジテレビ・東映) - 美保
- 私は名探偵・完全犯罪をつぶせ! 第2話(1981年、テレビ東京)
- 影の軍団III 第6話「夜光る顔」(1982年、関西テレビ)
- 白き牡丹に(1982年 - 1983年、TBS「ポーラテレビ小説」)
- 執念 愛の天使マザーテレサと心(1982年、サンテレビ) - 文化庁芸術祭参加作品
- 松本清張スペシャル6 交通事故死亡1名(1982年、日本テレビ「火曜サスペンス劇場」) - 小山田恵子
- 地獄の左門十手無頼帖(2) 将軍暗殺! (1983年、フジテレビ) - おあき
- 富士山大噴火殺人事件(1983年、TBS「ザ・サスペンス」) - 頼子(主演)
- 女たちの大坂城(1983年、読売テレビ)
- 銭形平次スペシャル 第888話(1984年、フジテレビ)
- 特捜最前線 第300話「鏡の中の女!」(1983年、テレビ朝日)
- 夫婦ねずみ今夜が勝負 第2話「大奥(秘)潜入します」(1984年、テレビ東京)
- 弐十手物語 第10話「女の甘い罠」(1984年、フジテレビ)
- ビートたけしのこにくらじいさん(1984年、フジテレビ「月曜ドラマランド」)
- 水戸黄門 第15部 第10話「嫁が支えた唐津焼 -唐津-」(1985年、CAL・TBS) - 村田梢
- ただいま絶好調!(1985年、テレビ朝日)
- ああ嫁姑II 第5話「外に出た姑」(1985年、毎日放送)(主演)
- ライパチくん(1985年、フジテレビ「月曜ドラマランド」)
- 死ぬほどヤセたい(1987年、テレビ東京)(主演)
- 江戸を斬るVII 第13話「藤の花の殺意」(1987年、TBS / C.A.L) - お染
- あぶない二人 ハウスマヌカン故郷に帰る(1987年、フジテレビ)
- 主婦ギャンブラー 亭主を買い戻せ!(1988年、テレビ朝日)
- 漂流裁判(1989年、朝日放送)
- ラブレター(1990年、テレビ東京)
- 豪剣!賞金稼ぎ 無用ノ介(1990年、テレビ朝日) - お松
- 鬼平犯科帳 第2シリーズ 第16話「白と黒」(1991年、フジテレビ / 松竹) - お今
- カラオケ教室殺人事件(1991年、テレビ朝日「火曜ミステリー劇場」)
- さんかくはぁと(1995年、テレビ朝日) - 七海初子
- 八代将軍吉宗(1995年、NHK「大河ドラマ」) - 江島
- あっとほーむ(2000年、TBS)
ラジオ
編集- しーちゃん、かんこのもう一曲歌いましょ! (2007年4月〜)
- つりと私(「三菱ふそう全国縦断・榎さんのおはようさん〜!」参照)[2]
- あべ静江と太田美知彦のYou & Me(2018年4月 - 、八王子FM)
- ヤングランド(東海ラジオ)[2]
- 1・2・3 四日市メガリージョン!!3(東海ラジオ)
- You & Me 東芝(エフエム愛知)[2]
バラエティ
編集- アップダウンクイズ(1978年)
- ほんものは誰だ!
- 木曜ヒットショー
- 投稿!特ホウ王国(不定期出演)
- ものまねバトル大賞(1994年 - 2003?年)
- 笑っていいとも! - 沢田亜矢子と共にコーナー出演(1996年4月 - 9月※火曜日担当)
- 土曜スペシャル
人形劇
編集NHK紅白歌合戦出場歴
編集年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
---|---|---|---|---|
1974年(昭和49年)/第25回 | 初 | みずいろの手紙 | 15/25 | にしきのあきら |
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
NHKみんなのうた出演歴
編集初放送年月 | 曲目 | 再放送 |
---|---|---|
1979年(昭和54年)10月 - 11月 | 嵯峨野巡礼 | 2012年(平成24年)3月26日 |
- 再放送は『みんなのうた発掘スペシャル』枠で放送。
CM
編集著書
編集- あら、やせちゃった! (2001年5月、マガジンハウス ISBN 4838713029)
家族・親族
編集- 松本家(母方)
- 六代前・安親(1749年 - 1810年、土木技術者・郷士)
- 五代前・恒久[12](? - ?、一志郡矢野村大庄屋)
- 高祖父・宗一[13][14](1842年 - 1889年、伊勢新聞創業者・三重県士族)
- 曾祖伯父・恒之助(1866年 - 1926年、衆議院議員・三重県士族[24])
- 曽祖父・宗吾[15](1877年 - 1945年、衆議院議員・三重県平民[25])
- 母・ひさ[26](1930年 - 2013年)
- 阿部家(父方)
脚注
編集注釈
編集- ^ 大正元年創業で羽織紐、帯揚げ、帯締めなどの和装小物、化粧品などを扱っていた[19][20]。
- ^ 幼いあべが日常のちょっとしたことで判断を迷うと、祖父から「自分で決めてから出直して来なさい」といつも言われていた。
- ^ 日中働きながら懸命に学ぼうとしている年上の同級生たちを目の当たりにし、何となく学生生活を送っている自分を恥じた。
- ^ 狂言の講師は、和泉流十九世宗家・和泉元秀(和泉元彌の父)だった。
- ^ チェリッシュを脱退した奥山敬造と、つボイノリオによるバンド。
- ^ 先述の通り事務所関係者を含めてあべや財津和夫が同じ飛行機で海外に旅立ち、後日再び皆で同じ飛行機で空港に降り立った。しかし慰安旅行とは知らない財津の女性ファンたちから、“2人だけで旅行に行った”と勘違いされたという。噂になった頃あべは「財津さんみたいな華やかな方とまさか噂になるなんて光栄です」、財津は「いえいえ、こちらこそ(笑)」と会話したという[4]。
出典
編集- ^ a b c “し〜ちゃん”. Amebaブログのあべ静江のプロフィールより. 2022年3月1日閲覧。
- ^ a b c d 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、19頁。
- ^ 「みずいろの手紙」刊行 あべ静江さん半生つづる 夕刊三重が出版夕刊三重. (2016年6月21日)2016年6月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 週刊現代2022年3月5日号「私の地図」第511回・あべ静江p78-80
- ^ 「あべ静江インタビュー」『深夜放送ファン』1974年1月号、自由国民社、47頁。
- ^ a b c d e 「弁論大会に燃えた高校時代」毎日新聞2014年6月30日、13頁(「学校と私」)
- ^ a b “あべ静江が脳梗塞で緊急搬送 収録でスタジオ入るも番組Pが中止判断、入院も意識はっきり快方へ”. 日刊スポーツ (2022年3月20日). 2022年3月20日閲覧。
- ^ "あべ静江「前後の記憶がない」脳梗塞からの復帰、"4股"ギタリストとのスキャンダル、代表曲『みずいろの手紙』への葛藤、50年かかって気づいた宝物を語る". 週刊女性PRIME. 主婦と生活社. 18 March 2023. 2023年3月18日閲覧。
- ^ “「ドラクエとSNSに夢中」 歌手・あべ静江が語る充実の「おひとりさま」生活”. デイリー新潮 (2021年10月5日). 2023年4月25日閲覧。
- ^ “脳梗塞のあべ静江が回復 リハビリ専門の病院へ転院”. サンスポ (産経デジタル). (2022年4月12日) 2022年4月12日閲覧。
- ^ “軽度の脳梗塞で入院していたあべ静江が10日に退院 16日の〝歌の祭典〟で復帰”. サンスポ (産経デジタル). (2022年5月10日) 2022年5月10日閲覧。
- ^ a b 新・津市人物伝 【香良洲町】 「伊勢新聞」の創業者 松本 宗一三重ふるさと新聞(2013年6月6日 AM 4:55)
- ^ a b 鏡開きや歌声で祝う 本紙創刊140周年の祝賀会、あべ静江さんゲスト出演 三重伊勢新聞.(2018-01-18)
- ^ a b 歌手・女優 あべ静江さん 歌で人に希望を与えた母東京新聞.(2018年1月28日付)
- ^ a b あべ静江、家に閉じこもりストライキ!名曲『みずいろの手紙』を歌うことに抵抗した理由テレ朝POST(2018.04.24)
- ^ a b c d e “あべ静江『みずいろの手紙』は「男性依存の歌」と“収録拒否”、10年封印し続けた過去”. 週刊女性PRIME. 主婦と生活社 (2021年6月26日). 2021年6月28日閲覧。
- ^ 東海ラジオ放送『東海ラジオ放送二十年史』(東海ラジオ放送、1979年11月20日)233頁
- ^ あべ静江有名人データベース PASONICA JPN
- ^ ⑤どこに あるのかな…この色紙~♪あべ静江オフィシャルブログ「みずいろの手紙」(2012-04-30 18:16:08)
- ^ 昨日は☆フルコース~♪あべ静江オフィシャルブログ「みずいろの手紙」(2015-01-13 07:48:37)
- ^ 2009年7月15日にCD版がリリースされた(規格品番:PCCS-00072)。
- ^ 2009年7月15日にCD版がリリースされた(規格品番:PCCS-00073)。
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- ^ 松本宗吾『人事興信録』データベース
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関連項目
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- 1973年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
外部リンク
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