「僕は写真で何か自分の世界を見せるというより、何かキャッチしていく方向なんで」
インタビューの冒頭、そのように語った写真家・山谷佑介。タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムで12月14日まで開催の展示『ONSEN』は、そんな山谷の写真への姿勢がよく表れているのと同時に、彼がキャッチしたものがどう作品として形成されていったのかということも、表れていたように感じられた。
写真=郭勇志
取材・文=菅原幸裕
この『ONSEN』は、「野湯(のゆ、やとう)」といわれる、日本の各地で自然に自噴する温泉と、そこを訪れる人々を撮影した作品である。草木もなく、変色した岩肌の荒涼とした土地に蠢く複数の裸体。その光景は温泉の湯気を感じさせる粗さも相まって、時間そして空間を超越するような印象がある。人によっては、彼岸を連想する鑑賞者もいるかもしれない。
「何も作られていない自然の中にある温泉、おそらく1000年、2000年、もっと変わらないような風景、こういうところに入ってたら、やっぱり時代を浮遊している感じがする。温泉に浸かって身体が浮遊するのと、自分の意識が浮遊するのは、よく似ている。それは一種のトリップですね」
山谷が写真を始めたのは2008年ごろ、東京の大学在学中だった。それまでパンクバンドでドラムを担当していた山谷は、「1人でなるべく完結しやすいメディアって何かあるかな」と思い、カメラを手にしたという。
さらに撮影旅行の過程で、野湯とも同じ頃に出合っている。大学卒業後、写真を仕事にしようとスタジオに入るが、1年ほどで辞め、「(日本の)端っこに行こう」と、長崎県へ。そこで出会ったのが、地方のベテランアマチュア写真家たち、そして東松照明だった。
「もうなくなってしまったのですが、長崎市にHIKOMAという、2階に暗室がある喫茶店があって、マスターがいい方で、手持ちのお金で8ヶ月ほど部屋を貸してくれたんです。その喫茶店は地方のアマチュア写真家たちが集って写真論を交える場所でした。そこで東松さんとも知り合います。当時回顧展が長崎で予定されていて、数ヶ月滞在していたんです。毎週写真を撮って持っていき、東松さんに見てもらう、それを3ヶ月ぐらいやっていました。アマチュア写真家たちとの会話と、東松さんとの交流で、やるべきことが大分わかってきたんです」
そして、自分がどこから来たかを、既視感があろうがなかろうが撮ってみようと、次に山谷が移動した先は大阪。自身が学生時代に親しんでいたバンドやスケーターといったストリートカルチャーを、半ば部外者の目線で撮るべく選んだ場所だった。かくして初の写真集『Tsugi no yoru e』としてまとめられた写真は、Yuka Tsuruno Galleryにて個展も開催され、山谷の名を広く知らしめることとなった。
その後、写真撮影とドラムパフォーマンスが融合したセルフポートレート作品『Doors』を携え、ヨーロッパツアーを敢行するなど、複数の作品を発表してきた山谷。その間も野湯を訪ねることは続けてきたという。
「2020年、21年の頃なんですけど、コロナが終わった後に、何を最初に出すかと考えて、もうシンプルに明るいやつで行こうと思って。明るいやつって自分の中で何があるかなと思って、カラー写真のこれ(野湯)だなと」
そこでSNSなどを駆使して「登山のパーティーのように」仲間を集い、各地の野湯を訪ね、まとめたのが写真集『ONSEN Ⅰ』だった。そして2024年11月、第2弾となる『ONSEN MMXXIV(オンセン 2024)』が刊行された。また、タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムでの展示の前に、ギャラリー&バースタジオ35分や、寺併設のギャラリー空蓮房にて展示を重ねてきた。「3か所ともそれぞれ異なるONSENを見せることができたので、まずは一段落と考えています」と山谷。
山谷は展示『ONSEN』に、2つの写真集にはない作品を加えている。それは文字中心の作品で、「LET’S GO」など、シンプルな言葉が泥色の紙の連なりに浮き上がっている。
「光の中に印画紙を置いておくと感光して変色します、それを定着させている感じです。ルーメンプリントという手法で、青写真とかフォトグラムに近いものですね。印画紙はさまざまな時代、さまざまな国のものを集めて使っています。古いものになると1917年の印画紙もあります。それらを屋外に置いて、葉や枝を使って太陽光で文字を浮かび上がらせました。言葉は“LET’S GO”など、ほんとたわいのないもの。取るに足らない会話を通してコミュニケーションをとるのが、いつの時代も人間の本質であるならば、その変わりない言葉を、書くという行為ではなく写真として作品化したかったのです」
そして、この作品に繋がるものとして、山谷は『ONSEN MMXXIV』に収録されたテキストを挙げる。これは「野湯」に向かった仲間たちと会話を、ほぼそのまま文章化したものだ。文字作品もこの会話から抜粋している。