オランダ人写真家サラ・ファン・ライが、ニューヨーク、パリ、ハバナ、ソウルなどさまざまな都市のストリートで切り取った日常の断片はある種の永遠性を感じさせる。ノスタルジックな要素が現代的な表現と出会い、見る者をどこか見慣れた、夢のような場所に誘うのだ。独自の視覚的言語はパーソナルワークに限らず、『New York Times』のエディトリアルワークやエルメス、トッズ、ジャックムスのファッションキャンペーンなどのコマーシャルワークでも見受けられる。今回のインタヴューでファン・ライは、創作の原点やストリートでの撮影、刺激的な今後の展開について話してくれた。
文=ジョージ・キング
現場で育まれた独自のスタイル
―まずは、写真ひいてはクリエイティビティとの関係性についてお尋ねしたいのですが、最初に何かを作りたいと思ったのはいつですか?
16歳くらいからヴィジュアルの世界にのめり込みました。デジタル世代なので、趣味の一環としてFlickrやTumblrなどを使って画像を集めたり、まとめたりするのに多くの時間を費やしていました。また、私の母は演技や演劇、音楽などクリエイティブなバックグラウンドを持っていたので、たくさんの映画を観て育ちました。その中には、子どもに観せるにはふさわしくないものもありましたが(笑)。幼少期からストーリーテリングに魅了されていたので、映像やイメージが果たす役割を早くから理解していたと思います。
―写真を始めたのはいつからですか?
アムステルダムに移住してすぐに写真を始めた訳ではありませんでした。最初は女優になりたいと思っていたのですが、カメラの前は居心地が悪いと気づいたので写真の勉強を始めたんです。その後、Hutspotという、いわゆる初期のコンセプトストアで立ち上げのスタッフとして働きました。そこは単なるショップではなく、2階にギャラリースペースがあり、そこは多くのメーカーにとって重要なプラットフォームでした。同社に4年間在籍し、最終的にはクリエイティブディレクターになりました。若手としては、大きな肩書きだったと思います。商品の写真を撮ったり、イメージの仕上がりを確認したり、グラフィックデザイナーと仕事をしたり……私にとって学校のような場所でしたね。そこで習得した基礎的な知識や経験は、その後のキャリアにおいてとても役に立っています。
―その後、自身の写真を追求するために退職された?
そうですね。Hutspotで働いていた頃もたくさんの写真を撮ってはいたのですが、「これは自分が追いかけたい夢なんだ、突き進もう」と自分自身で認識するためにサポートが必要な場合もあります。私の場合は、パートナーであるデヴィッドと彼の家族が私の背中を押してくれたので、2017年に独立することができました。自分の仕事として写真にコミットしたことで、作りたいものがより明確になった気がします。
イメージに永遠性を宿すエレメントとは?
―ここ数年制作されているイメージは、依頼された仕事であれ、パーソナルワークであれ、基本的にストリートとリンクしています。あなたにとってストリートは、常に撮影の舞台になるのでしょうか?
そうだと思います。スタジオでもほかの場所でも、ものを作るということは独自の世界を構築することであり、同時に世界について学ぶことでもあります。私は行く先々で人生を観察し、さまざまなピースを集め、それらを一種のパズルとして理解しています。私にとっては、制作を実践するための自然な場所がストリートだったのです。
―あなたが街で撮影したイメージには、いくつかの共通した特徴があります。興味深く抽象的な構図、反射、影の使い方、寄りのフレーミングなど。ときには建築的な要素や、ファッションの要素も含まれ、そこには時代を超越した感覚があると思います。
写真の中には、私が探し求めている要素、あるいは制作をする上で引き金となる要素が含まれています。デヴィッドと私は共にストリートフォトグラファーですが、最近、私たちはあまり型にはまったやり方で制作をしていないと気づきました。多くのストリートフォトグラファーは、平凡なものを特別なものへと昇華させようとすると思うのですが、私たちではそうではありません。私たちが探しているのは、偶然出会うのが難しいとても小さなものなのです。私の写真は、特殊な要素の組み合わせで成り立っています。都市の現実を反映することはほとんどなく、イメージの中で作られた映画のようなものです。
―あなたにインスピレーションを与えている映画の要素は、確かに作品から感じ取ることができます。あなたは非常に様式化されたディテールを見つけ出し、それらに焦点を当てている。それはまるで、あなたが偶然見つけたものたちが演出されているかのようです。
ストリートや現実の世界を舞台に、時間の指標となるようなものを使って遊びながら、半分作り物のようなリアリティを作り出しているんだと思います。私の写真を見て、「これは2022年のニューヨークだ」と思う人はあまりいないと思うんです。多くのストリートフォトグラファーにとって、いま、ここを撮影することが重要だと思うのですが、私は自分の世界を構築するためにストリートを使うことが好きなんです。でも、何度も何度もストリートへと足を運び、そこにないかもしれない瞬間を見つけようとすることに、少しフラストレーションを感じています。運に頼らず、もう少しコントロールできるようになったらいいなと思います。映像ももっと追求してみたいのですが、焦ってはいません。
―ご自身の制作が、新しい方向に向かっているように感じているのですね?
はい、確かに進化していると思います。ロックダウン中に自宅でスティルライフの作品を作ったのも、新しい一歩として、とても楽しいものでした。デイヴィッドも私も、スタジオでコントロール下にある制作にもっと力を入れたいと思っています。セットを作ったり、印刷技術で遊んだり、もしかしたら自分たちの体をイメージ制作に使ってもいいかもしれません。映像制作に向けて、少しずつ準備を進めていきたいと思っています。
―インスピレーションを得た映画を教えてください。
たくさんの名作が浮かびます。中でも子どもの頃に見たスタンリー・キューブリックの映画はよく覚えています。あと、ありきたりに聞こえるかもしれませんが、ヒッチコックの名前は挙げざるを得ません!彼の作品は常に直接的なインスピレーション源であった訳ではありませんが、私の潜在意識に働きかけ、写真に影響を与えたと思います。いまではシンプルに思える彼のテクニックも、当時は非常に新鮮で画期的でした。シュールレアリスティックな要素もとてもクリエイティブですよね。
―挙げていただいたリファレンスが、あなたの写真にノスタルジックな雰囲気を与えているのでしょうか?
クリエイティブな人は、それぞれリファレンスのアーカイブを持っていると思いますし、私たちは巨匠たちの肩の上に立っているのです。でも、私が過去に惹かれるのは、現代の方が醜いと感じているからです。私たちは消費をし過ぎているし、すべての物事が目まぐるしく、十分に熟考されないままに進んでいます。ファッションにおいても、クラシックなシルエットが好きなので昔の方が美しいと感じます。女性がドレスとヒールを履かなければならない時代に戻りたいという訳ではありません。例えその姿がストリートでどう見えるかが好きだとしても!美的な意味だけでなく、過去が現代の醜い部分を切り開くということなのです。