450: 可愛い奥様 2020/01/11(土) 22:14:52 ID:mL2JJcb70
人を見ごろしにしたこと
私の父には妾がいた
ある程度の財産や地位のある男には妾がいて当たり前、という環境だった
母は内心面白く思っていなかっただろうが「盆暮れ正月の挨拶と付け届けもきちんとなさってくださるし、優しくしてあげましょうね、お可哀そうな方なのよ」と言っていた
父は家を優先していたし、正妻である母を一番に大事にしていたと思う
私の父には妾がいた
ある程度の財産や地位のある男には妾がいて当たり前、という環境だった
母は内心面白く思っていなかっただろうが「盆暮れ正月の挨拶と付け届けもきちんとなさってくださるし、優しくしてあげましょうね、お可哀そうな方なのよ」と言っていた
父は家を優先していたし、正妻である母を一番に大事にしていたと思う
そのうち妾に男子が産まれた
妾は近所に子と二人で住んでいて、産後の肥立ちが悪く困っていたらしい
母の提案で一日おきに食事を届けてあげることになったのだが、その配達人は私だった
風呂敷に包まれた三段のお重箱と、バスケットに入れられた焼き立てのパン、食べやすく切ってからタッパーに入れられた果物、だいたいこれくらいの量を一度に運ばされていた
妾は私を毎回あたたかく迎えてくれて、深く頭を下げてお礼を言い、くれぐれも奥様に宜しくと何度も言った
赤ちゃんを抱かせてくれたとき思わず私が「可愛いね」とつぶやいたら妾は泣いていた
そんな日々が2か月程続いたある日、いつも通りに食事を届けたところ呼び鈴に反応がない
今までも何度かそういうことがあり(寝ていたり、お手洗いだったり、縁側に出ていたり)、でも赤ちゃんの泣き声はするので在宅だと思い家の中に入った
赤ちゃんは居間のベビー布団で寝転がり泣いていた
妾は居間と続き間の台所で寝転がっていた
○○さん?と呼びかけても反応はなく、大きなイビキをかいていた
妾はいつも顔色は良くなかったけど、いつも以上に血色の様子がおかしかった
食卓の上にお重箱とバスケットを置くと、私はそのまま帰った
妾のとこから帰宅するといつも母に「○○さん、お変わりなかった?」と聞かれるけど、その日もいつも通りに"うん"と答えた
次の次の日、母からお届けを頼まれなかった
妾は近所に子と二人で住んでいて、産後の肥立ちが悪く困っていたらしい
母の提案で一日おきに食事を届けてあげることになったのだが、その配達人は私だった
風呂敷に包まれた三段のお重箱と、バスケットに入れられた焼き立てのパン、食べやすく切ってからタッパーに入れられた果物、だいたいこれくらいの量を一度に運ばされていた
妾は私を毎回あたたかく迎えてくれて、深く頭を下げてお礼を言い、くれぐれも奥様に宜しくと何度も言った
赤ちゃんを抱かせてくれたとき思わず私が「可愛いね」とつぶやいたら妾は泣いていた
そんな日々が2か月程続いたある日、いつも通りに食事を届けたところ呼び鈴に反応がない
今までも何度かそういうことがあり(寝ていたり、お手洗いだったり、縁側に出ていたり)、でも赤ちゃんの泣き声はするので在宅だと思い家の中に入った
赤ちゃんは居間のベビー布団で寝転がり泣いていた
妾は居間と続き間の台所で寝転がっていた
○○さん?と呼びかけても反応はなく、大きなイビキをかいていた
妾はいつも顔色は良くなかったけど、いつも以上に血色の様子がおかしかった
食卓の上にお重箱とバスケットを置くと、私はそのまま帰った
妾のとこから帰宅するといつも母に「○○さん、お変わりなかった?」と聞かれるけど、その日もいつも通りに"うん"と答えた
次の次の日、母からお届けを頼まれなかった
451: 可愛い奥様 2020/01/11(土) 22:14:59 ID:mL2JJcb70
妾と子の葬儀やらで父母が数日留守にした
その間にお手伝いさんから、妾は脳の血管が切れてシんでしまったと聞いた
赤ちゃんもシんでしまったと聞いたがシ因は覚えていない
衰弱、低体温、凍シというような単語を聞いたことは覚えている
妾は田舎の親族から絶縁されていて、遺体はもちろん遺骨の引き取りも拒否された
すぐに大人を呼ばなかったことは後悔していない
小さな子まで見ごろししたことは後悔というか、申し訳ない思いがある
ずっと父母だけで法要を営んできて、父母のシ後は私が引き継いだ
先日弔い上げだったのでここに記させてもらいました
その間にお手伝いさんから、妾は脳の血管が切れてシんでしまったと聞いた
赤ちゃんもシんでしまったと聞いたがシ因は覚えていない
衰弱、低体温、凍シというような単語を聞いたことは覚えている
妾は田舎の親族から絶縁されていて、遺体はもちろん遺骨の引き取りも拒否された
すぐに大人を呼ばなかったことは後悔していない
小さな子まで見ごろししたことは後悔というか、申し訳ない思いがある
ずっと父母だけで法要を営んできて、父母のシ後は私が引き継いだ
先日弔い上げだったのでここに記させてもらいました
452: 可愛い奥様 2020/01/11(土) 22:34:08 ID:5rkPir0b0
妹か弟だったってことだよね、赤ちゃん
途中まで、正妻のお母さまが食事に何かしたのかとドキドキしてしまったわ
ご両親はその後は添い遂げてるのかな?
妾とか一夫多妻とか、自分はちょっと想像もつかないんだけど、時代や文化が違えば普通に受け入れられらものなんだろうか
途中まで、正妻のお母さまが食事に何かしたのかとドキドキしてしまったわ
ご両親はその後は添い遂げてるのかな?
妾とか一夫多妻とか、自分はちょっと想像もつかないんだけど、時代や文化が違えば普通に受け入れられらものなんだろうか
453: 可愛い奥様 2020/01/11(土) 23:18:51 ID:MqFyrhql0
脳の血管が切れたのならだれか呼んでも助からなかったかもしれない。
赤ん坊はどういう理由なのか知らないけど。放置シ?
一般の大人でも助かるはずの人をシなせてるケースはいっぱいあるよ。
心筋梗塞の時は心臓マッサージすれば蘇生する確率高いけど、
心臓マッサージとか救命法なんて知らない人の方が多い。
赤ん坊はどういう理由なのか知らないけど。放置シ?
一般の大人でも助かるはずの人をシなせてるケースはいっぱいあるよ。
心筋梗塞の時は心臓マッサージすれば蘇生する確率高いけど、
心臓マッサージとか救命法なんて知らない人の方が多い。
454: 可愛い奥様 2020/01/12(日) 00:28:15 ID:nfwdZ8v60
>>452
弟でした
あの後、父はがらっと変わって二度と妾を囲うことなく両親は添い遂げました
今では考えられない時代といいますか、環境だったなあと思います
両親と東京オリンピックを観戦した経験があり、弔い上げまで済ますほど年月が経ちましたので、私もずいぶん年を取りました
>>453
励ましてくださっていると有り難く受け取ります
母は晩年「私がお重を持って行けばよかった、何かに気付けたかもしれない、二人に可哀想なことをした」と何度も言っていました
弟でした
あの後、父はがらっと変わって二度と妾を囲うことなく両親は添い遂げました
今では考えられない時代といいますか、環境だったなあと思います
両親と東京オリンピックを観戦した経験があり、弔い上げまで済ますほど年月が経ちましたので、私もずいぶん年を取りました
>>453
励ましてくださっていると有り難く受け取ります
母は晩年「私がお重を持って行けばよかった、何かに気付けたかもしれない、二人に可哀想なことをした」と何度も言っていました
455: 可愛い奥様 2020/01/12(日) 00:33:43 ID:nfwdZ8v60
>>453
書き忘れました
子は生後2〜3か月、あの日は今の時期で当時の住宅ですからだいぶ冷えたんだと思います
私は一日おきに食事を届けていましたが、私が行かない日に女中がお洗濯とお掃除に行っていたそうです(後になって知りました)
ですので、私が見ごろした次の日に女中が冷たくなっている二人を発見したそうです
書き忘れました
子は生後2〜3か月、あの日は今の時期で当時の住宅ですからだいぶ冷えたんだと思います
私は一日おきに食事を届けていましたが、私が行かない日に女中がお洗濯とお掃除に行っていたそうです(後になって知りました)
ですので、私が見ごろした次の日に女中が冷たくなっている二人を発見したそうです
456: 可愛い奥様 2020/01/12(日) 00:53:14 ID:HqN81gWr0
実はお妾さんの存在が嫌だったの?
457: 可愛い奥様 2020/01/12(日) 04:00:25 ID:vTag/NbE0
親父がシねばよかったのにね
458: 可愛い奥様 2020/01/12(日) 07:44:04 ID:isVpr++R0
父親がシんだらみんな露頭に迷っちゃうじゃん
459: 可愛い奥様 2020/01/12(日) 08:00:59 ID:cjb8LaZL0
財産あるから大丈夫
生命保険にも入ってたらみんなニッコリ
生命保険にも入ってたらみんなニッコリ
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引用元: ・奥様が墓場まで持っていく黒い過去 69
コメント一覧 (22)
とんだ婆じゃねえか
こんなんどMでも無理だよ。
報告者のカーチャンは時代とは言えすごい人だ。
まともじゃない人非人
どう対処したらいいかなんて
幼かった当時は分からなかったんだよ、
罪悪感はあるだろうけど
小さな子に背負わせるものではないと思う。
残念だけど、仕方がなかったんだよ。
本当にお可哀想と思うけどね。
合掌。
昔は女の人の地位がずっと低かったから
自分で稼いで生きていくってとても大変だった、
妾は、こういう身の上の女の人が
生きていくための福利厚生みたいな側面もあったって聞いたことがある。
今の感覚で語るのは少し本質からズれるのでは
当時の大人でも「寝かせておこう」と布団に運んだだけだったろうし
赤ちゃんが泣いても気付かないで台所で寝るのはさすがにおかしいと思うんじゃないかな?
同時の年齢が分からないけど一桁の年齢なら仕方ないんじゃないかな?
弟はもっと嫌な思いしたかも
その運命でよかったかもしれない
いやそれはないよ
自分が学生くらいだった頃の数十年前からその通説はあった
話しを読んでるとどんな時代の話しだよって思ってたけど
東京オリンピックだと?
今から57年前でこの報告者が当時10才くらいだとして
昭和20年後半から30年くらいだと
裕福な家ではそんな事もあったのかもしれない
自分は妾の子だって公表してる人めっちゃ少ないからやっぱり相当日陰の存在だよね
この妾も親族から絶縁されてたみたいだし
なんで囲うんだろ、好きな人を日陰の存在にして楽しいのかな?もともと貧乏だったり不幸な生い立ちだったりな人間だからずっと日陰に置いておいてもいいだろみたいな?
昔の金持ちの旦那様は、妻も家柄的な事情や政略結婚なんかであらかじめ決められた相手な訳で、離婚なんか出来ない訳よ。
だから妻は妻として置いといて、家庭を壊さない範囲で遊ぶんだけど、愛人を囲って子供を作り、住まいを持たせて世話までさせるというのは、愛人の中でもかなりの本気待遇でしょ。
第二夫人的扱いだからね。
むしろこういった愛人を囲う行為こそが、男の甲斐性だという価値観もあるほど。
身寄りが無いとか、経済的に困窮する女性を妾にするのは、金持ち男性にはよくあることだと思う。現在でも。
あと、上記のように妻も権力者であるから、肩書きのない女性を愛人にしたい、ってのはあると思う。
病弱とわかってるのに日に一回、お手伝いさん もしくは 幼い娘しか世話に行かない、もちろん赤子のお世話もろくにお手伝いなしのってのは、当時でもマトモな待遇とは言えないよ。自分のお妾さんが病弱と知ってながら、1日1回すら行ってない上に新生児の世話を丸投げしたからお妾さんも赤さんもしんじゃったんだから。ほかも正妻たる報告者母に投げっぱなしだし。なんで妾やその子の面倒を正妻やその子が気にかけないといけないのさ?
自分の感想だと、報告者にも否定的な感情しかないけど、報告者父親の方にはそれより遥かに強く人間の心もたないゴミクズじゃんという感想しかないよ。虫捕まえてろくにせわしなかったら、いつのまにかしんじゃったって小学生低学年かってのを人間しかも我が子にやったんだからね。地獄に落ちろとしか。
存在自体隠してやれ
じゃあお女中さんに食事も運ばせりゃ良かったような気がするが
お女中さんも隔日で来てたのかな?
認知はされてなくて私生児
だからか父親の父親(名前も知らないのに祖父とは呼びたくない)がなくなったときも遺産はなく、極貧生活に陥ったとか
まあ、祖母の性格からしてこの妾さんみたいに、わきまえた態度はとらなかっだろうしねw
なんか未亡人を助けたみたいないい話に、叔母とかオカンのなかではなっている。法事で懐かしそうに語ってたwでも話をきくと件の未亡人だけではないっぽいんだよ。あとオカンを連れて芸者と祇園祭だったかの見物をしてた話とかくそ面白い。ちなみにワイではないが孫と一緒に芸者遊びもしてた強者でもある。当時は金持ちはそういうことしてたんだと思う。
街中を案内してくれた時に、近所にある小さい家を「父のお妾さんの家」
冗談?と思ってやり過ごしたけど本当だった。平成の話。
まあ、正妻の子の立場となれば複雑よな。