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 私が久しぶりに購入した本は藤井旭さんの書いた「白河天体観測所」です。「日本中に星の美しさを伝えた,藤井旭と星仲間たちの天文台」という副題がついています。
 1966年に創刊されて50周年を迎えた「月刊天文ガイド」は,パソコンもスマホもなく、まだ日本が貧しかったころの少年たちが夢を膨らませるのに十分な雑誌でした。そうした少年たちより少し年上の先輩たちの活躍や話題がこの雑誌を作り上げ,日本のアマチュア天文家に天体写真ブーム巻き起こしたのです。
 そのなかには池谷薫さんとか関勉さんのように彗星を発見したりする人や富田弘一郎さんのような専門家がいたのですが,そういう人たちとは別に,一見,学問とか業績とは無縁のアマチュア天文家のリーダー的な存在を通したのが,天体写真家の藤井旭さんでした。

 藤井旭さんは1941年の生まれ。子供のころに戦後で何もないので星ばかり見ていた事から星が好きになったのだそうです。山口市の出身なのですが,大学は(入学試験が楽なので)多摩美大を志願して見事入学。入学後は星ばかりを見て過ごし,卒業後,とにかく星がよく見えるところという条件で東北を旅していたときに,ちょうど郡山に寄った際,饅頭屋で「これはうまい」と言ったら,それを耳にした社長から「それじゃ社員になれ」ということでお客が直ぐに店員となって働き出したという経歴の持ち主です。
 その後,1969年に福島県の白河に星仲間と一緒に白河天体観測所というアマチュアの観測所のはしりとなる天文台を建設して口径30センチメートルの反射望遠鏡を設置しました。その天文台も,学問とはほぼ無縁,仲間内で星を楽しむための施設でした。そして,台長さんには飼っていたアイヌ犬のチロを任命。この辺りはクマが出没するので一番強く頼りになる犬のチロが天文台長にふさわしい… ということでそうなったのだそうです。
 さらには,愛犬のチロとともに「チロの星祭り」を浄土平で毎年開いて,全国から2千人もの人が集まったり,日本ではもう新たに見る星がなくなったと,1995年に南半球の見るためにオーストラリアの星仲間に土地を現地で用意させて日本からハイテクの望遠鏡を持ち込んで,オーストラリア西部のバースという町の近くに愛犬の名前を冠した「チロ天文台南天ステーション」を建設したりと,やることなすことが,アマチュア天文愛好家羨望の的でした。
 藤井旭さんは,天文の入門書など60冊を越える著書もあり,そのどれもが,魅力にあふれた素敵な本なのです。また藤井旭さんの写した天体写真はとても美しくて世界的に有名で,NASAにも無償で提供しハッブル宇宙望遠鏡がどこを写しているかを示す写真に使われています。

 この人の不思議なのは,これほど,世間で「目だつ」ことをずっとやってきたのに,その人となりを詳しく語る人もなく,悪口のひとつも聞いたことがなく,まったく私欲がなく偉そうでなく,星を楽しむためだけに生きているように見えることなのです。きっと本人も有名になろう… などとは全く考えていなかったのだろうと思われるし,ただただ好きなことをやっていたらこうなってしまったという,まさに自然体で生きてきた感じなのです。本当はいろいろなご苦労があったのでしょうが,それを一切外には出さず,一見,お金の心配もなく,働いているようにも思われず,浮世の悩みもなく生きてこられたように見えるのです。
 このようなわけで,「白河天体観測所」というのは天文ファンの「聖地」であり,私のような「月刊天文ガイド」を1966年の創刊号のころから知っている人間にとって、藤井旭さんというのは、まさに、この雑誌とともに歩んだ天文ファンにとって憧れというか仙人みたいな人物なのです。
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 東日本大震災で被災して再起不能になってしまった白河観測所は,残念ながら,2014年に閉鎖されてしまいました。その時のことがこの本にも「ああ,楽しかったの50年」としてつづられています。これは「月刊天文ガイド」にすでに載っていた文章なのですが,まさに,藤井旭さんにとって,この50年は心から「ああ,楽しかった」のだろうと思います。
 この本には,このほかにも,この白河観測所とはどんな観測所だったのか過去を振り返りながらその全貌を紹介しているのですが,そのほとんどは書下ろしではなく,これまでにどこかで書かれていたことなので,私はすでに読んだことがありました。この本は,それをまとめただけなのですが,久しぶりに再びそれを読もむことができて,昔のことが懐かしくなりました。

 当時の天文少年たちは,みんなこうした夢を追いながら大人になり,でも,ほとんどの人は,夢を置き去りにして食うために働き,やがては歳をとりました。また,すぐれた,あるいは,幸運を手に入れた少数の人は,学者となり,宇宙飛行士となり,あるいは,ずいぶんと大金をつぎ込んで大きな望遠鏡を手に入れて新天体の発見に業績を残したり,ハイテクの機材を使いこなしてプロの天体写真家となりました。
 しかし,結局,そうした当時の天文少年の誰しもが決して越えられないのが,誰よりも実際に星をたくさん見,愛した藤井旭さんの,ひょうひょうとした肩にまったく力が入っていない姿と,高等遊民のように,趣味に生きたその生き方そのものなのです。
 藤井旭さんについても,この白河天体観測所についても,これだけ有名だから,きっとよく知る人もいると思うのに,なぜか,その人物の本当の姿も,その観測所のある場所も、その実際の姿は明かされず,しかも,それを探ろうともしないのが不思議なことです。そして,その不思議さこそが,仙人であり聖地たるゆえんなのです。
 きっと,みんな「夢」がみたいのです。
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 かくいう私も,ずっと本を読むだけの単なる一天文ファンだったのですが,同じように歳だけとった今になって,やっと,昔買った小さな望遠鏡で暇があれば星空を見たり写真を撮ることができるようになりました。今は,50年前にもどって楽しんでいる感じです。そして,そんな今になってはじめて,ああ,藤井旭という人はこういうことをずっとやってきたんだなあ,と実感して,私は50年何をやっていたのか,とちょっぴり虚しくなるとともに,ますますその生き方がうらやましくなりました。
 子供のころに帰ることができる素敵な本でした。

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